『記』応神記に、若野毛二俣王の系譜がみえます。
冒頭の后妃子女の系譜とは別に、応神記の最後に記され、異例の形式となっています。
系図にすると、次のとおりです。
応神 ├────若野毛二俣王 ┌─大郎子(意富々杼王) 咋俣長日子王─┬─息長真若中比売 ├───────┼─忍坂之大中津比売命 └─百師木伊呂弁(弟日売真若比売命)├─田井之中比売 ├─田宮之中比売 ├─藤原之琴節郎女 ├─取売王 └─沙禰王
意富々杼王については、〈三国君・波多君・息長坂君・酒人君・山道君・筑紫米多君・布勢君等祖〉と記されます。
この系譜は、『上宮記』逸文の継体の父系系譜と一致することがわかっています。
伊自牟良(牟義都国造)─久留比売命 中斯知命 ├─汙斯王 凡牟都和希王(応神?) ├────乎非王 │ ├─若野毛二俣王 ┌大郎子(意富々等王)│ クイ俣那加都比古─弟比売麻和加 ├─────┼践坂大中比弥王 │ 母々恩己麻和加中比売 ├田宮中比弥 │ └布遅波良己等布斯郎女├─乎富等大公王 伊久牟尼利比古大王(垂仁)─伊波都久和希─伊波知和希─┐ │ ┌─────────────────────────┘ │ └───伊波己里和希─麻和加介─阿加波智君─乎波智君 │ ├──┬─都奴牟斯君│ (余奴臣祖)阿那尒比弥└─────布利比弥命
『記』継体記に、継体は「品太王(応神)の五世孫」とあり、系譜は記されないのですが、『記』応神記の若野毛二俣王系譜に、『上宮記』逸文の系譜を補うと、確かに5世孫となります。
また、継体と高祖父の名は、「大(オホ)」「小(ヲ)」という対の関係になっています。
『記』は、高祖父を「意富々杼(オホホド)」、継体を「袁本杼(ヲホド)」、
『上宮記』逸文は、「意富々等(オホホト)」「乎富等(ヲフト)」と記します。
(山尾幸久『日本古代王権形成史論』1983年、418頁)
「大」「小」は、「父」と「子」、あるいは、「兄」と「弟」を意味すると思われ、継体とその高祖父が密接な関係にあったことが窺われます。
◇ 意富々杼王・忍坂之大中津比売・藤原之琴節郎女らは、近江国坂田郡の勢力とみられる。忍坂之大中津比売・藤原之琴節郎女は、允恭の后妃である。(→ 近江国坂田郡の允恭后妃)
◇ 『記』『紀』允恭段を5世紀中頃の記述とみることに疑問がある。(→ 『記』『紀』允恭段への疑義)