『記』『紀』の継体天皇の系譜に、次のような后妃がみえます。
『記』 『紀』 ① 三尾君等祖、若比売 手白香皇女 ② 尾張連等祖、凡連妹、目子郎女 尾張連草香女、目子媛(更名色部) ③ 意富祁天皇(仁賢)御子、手白髪命 三尾角折君妹、稚子媛 ④ 息長真手王女、麻組郎女 息長真手王女、麻績娘子 ⑤ 坂田大俣王女、黒比売 坂田大跨王女、広媛 ⑥ 三尾君加多夫妹、倭比売 茨田連小望女(或曰妹)、関媛 ⑦ 阿倍之波延比売 三尾君堅楲女、倭媛 ⑧ 和珥臣河内女、荑媛 ⑨ 根王女、広媛 (①〜⑨は、記載順) (『記』写本に、茨田連小望女、関媛の子とみられる断片的記述がみられる。)
『記』『紀』の記載順序に注目し、三尾君の妃について、次のような指摘がなされています。
- 記載順①②③の3人は、順序は異なるが、『記』『紀』で一致し、重要な后妃と認識されていたと思われる。
- 『紀』では、①「皇后」手白香皇女、②「元妃」尾張連草香の女目子媛、③三尾角折君の妹稚子媛の順で記すが、このことは、三尾角折君の稚子媛が、「皇后」手白香皇女、「元妃」尾張連草香に次いで重要視されていたことを示す。(手白香皇女は、継体との間に欽明天皇を、尾張連草香の女目子媛は、安閑・宣化の両天皇をもうけた)
- 『記』では、①三尾君等祖、若比売、②尾張連等祖、凡連妹、目子郎女、③意富祁天皇御子、手白髪命の順で記す。これは、継体に入内した順ではないか。
- 三尾君等祖、若比売(三尾角折君の妹稚子媛)の他に、三尾君加多夫妹、倭比売(三尾君堅楲の女倭媛)がみえ、三尾君から2人の妃が出ている。
- 皇子女についての記載をみると、若比売の第一子が「大郎子」、倭比売の第一子が「大郎女」とあるが、「大郎子」「大郎女」は、皇子女のなかでの第一子を示す名で、このことも、継体と三尾君の2人の妃との結婚が他の后妃より早かったことを示す。
(大橋信弥「三尾君氏をめぐる問題ー継体擁立勢力の研究ー」(『日本古代の王権と氏族』1996年))
三尾君は、即位する前の継体と、早くから密接な関係にあったことがわかります。
◇ 三尾君の本拠地は、近江国高島郡なのか、越前国坂井郡なのか、見解が2つに分かれている。(→ 振媛と三尾君をめぐる問題)
◇ 三尾角折君の本拠地について、福井県福井市角折町とする説がある。当地は、旧足羽川が日野川に合流する交通の要衝で、南に、奈良東大寺領の初期荘園、道守庄が所在した。(→ 三尾角折君の本拠地)