三尾君の本拠地について、越前国坂井郡と近江国高島郡の2説があり、また、継体天皇の母振媛の出身勢力についても、三尾君と三国真人とに見解が分かれています。
越前国坂井郡に関わる論点は、次の7点です。(→ 越前国坂井郡高向郷)
① 『紀』『上宮記』逸文に、振媛の出身地は、越前国坂井郡高向とされる。
② 『上宮記』逸文に、振媛は、三尾君祖の後裔とされる。
③ 越前国坂井郡に、『延喜式』兵部省の「三尾」駅があった。
④ 『記』『姓氏録』「国造本紀」によると、羽咋・加賀の勢力が三尾君と同祖関係にある。
⑤ 越前国坂井郡の郡領氏族は、三国真人である。
⑥ 三国真人は、高向郷と隣接する長畝郷・磯部郷に居住が認められる。
⑦ 古代の越前国坂井郡に関わる史料に三尾君はみえない。
近江国高島郡に関わる論点は、次の5点です。(→ 近江国高島郡三尾郷)
① 『紀』『上宮記』逸文に、継体の父母が結婚した土地を「近江国高嶋郡の三尾の別業」「弥乎国高嶋宮」と記す。
② 近江国高島郡には、『和名抄』に三尾郷、『延喜式』兵部省に「三尾」駅がみえ、『紀』に「三尾城」、『続紀』『万葉集』に「三尾(水尾)崎」、『延喜式』神名帳に「水尾神社二座」など「三尾」の地名が多数認められる。
③ 「三尾」の地は、高島郡南部の鴨川下流域に比定される。
④ 近江国高島郡の郡領氏族は、角山君である。(本拠地は、高島郡北部の石田川流域)
⑤ 古代の近江国高島郡に関わる史料に三尾君はみえない。
越前国坂井郡に関わる論点①②③④からみると、越前国坂井郡に三尾君の本拠地があり、振媛は三尾君の出身であったと推測されます。
この見解に対しては、坂井郡論点⑤⑥⑦が問題となり、近江国高島郡「三尾」との関係も説明する必要があります。
いっぽう、近江国高島郡に関わる論点①②③は、近江国高島郡に三尾君の拠点があったことを示し、本拠地とみた場合、越前国坂井郡の勢力の属性を説明する必要があります。
越前国坂井郡(振媛出身地)勢力を三国真人とした場合、坂井郡論点②が問題となります。
(米沢康「三尾氏に関する一考察」(『北陸古代の政治と社会』1989年))
(山尾幸久『日本古代王権形成史論』1983年、454~460頁)
(大橋信弥「三尾君氏をめぐる問題ー継体擁立勢力の研究ー」(『日本古代の王権と氏族』1996年))
越前国坂井郡論点①②③④、近江国高島郡論点①②③から、越前国坂井郡と近江国高島郡ともに三尾君の拠点とみられ、また、振媛の出身勢力は、三尾君とも三国真人とも言えうるかと思います。
問題の本質は、越前国坂井郡と近江国高島郡ともに三尾君が史料に検出されず、他地域の史料においても検出される数はごく僅かで、雄族であったはずの三尾君が、8世紀代には消えてしまったことにあると考えます。
『紀』天武紀13年10月条に、「八色の姓」の最上位の姓「真人」が13氏族に授けられたことがみえます。
13氏族は、天皇の皇子の後裔で、『記』『紀』『姓氏録』の記述と照合すると、内訳は、継体6氏、宣化2氏,敏達2氏、用明1氏、不明2氏となっています。
継体後裔の三国公・坂田公・羽田公・息長公・酒人公・山道公の6氏で真人の約半数を占め、継体王権が重視されていたことが窺われます。
また、6氏からみると、真人賜姓により継体後裔氏族としての栄誉を授かったと捉えることが出来ます。
では、仮に振媛の出身氏族が三尾君であったとして、継体天皇の生育を全面的に援助した貢献度が勘案されても、真人の賜姓はなされなかったと考えます。
何故なら、『記』『紀』『姓氏録』にみえる6氏の祖は、3史料のあいだでやや異同がみえるものの、継体の皇子、曾祖父、高祖父の何れかで、すべて父系(男系)に属する人物であり、母系は存在しません。
三国真人は、『記』『紀』に、継体と三尾君堅楲女倭媛の長男の後裔とあり、母系が三尾君であることが明記され、しかも、坂井郡の郡領氏族で、振媛の故郷とされる越前国坂井郡高向郷に隣接する長畝郷・磯部郷に居住が認められます。
三尾君は、父系主義の氏姓制度に対応するため、伝統ある系譜と物語を持つ「三尾君」の看板を外し、「三国公」という新しい看板を掲げる選択をしたのではないかと思います。
時期は、系譜を除くと三国公の初見となる、『紀』大化5年3月24日条・白雉元年2月15日条にみえる、三国麻呂公の時代と推測します。
『上宮記』逸文の系譜部分では、振媛の祖を三尾君祖とするのに、物語部分では、振媛の故郷は「三国の坂井県」「三国」「多加牟久村」と、一言も「三尾」と書かないことにそのあたりの事情が窺われます。
三尾君は、越前国坂井郡を本拠地とし、足羽郡角折(日野川・足羽川合流地点)に支族を有し、江沼郡・加賀郡・能登国羽咋郡の勢力と政治的関係を結び、さらに、近江国高島郡に拠点を有し、継体の母振媛の出身母体であったと考えます。
また、『記』『紀』垂仁系譜から、南山城(山城国綴喜郡・宇治郡・相楽郡)の勢力とも深い関係にあったことも窺われます。(→ カニハタトベ・カリハタトベ)