『紀』垂仁紀34年3月条に、垂仁天皇と綺戸辺の話がみえます。
山背に出かけた垂仁天皇は、綺戸辺(かにはたとべ)という美女に会えるようにとウケヒすると、河のなかから大亀が現れ矛で刺すと石になるという奇瑞が現れて、綺戸辺を妃とすることができました。
『紀』垂仁系譜に、綺戸辺と名が似た、山背苅幡戸辺(かりはたとべ)という妃もみえ、『記』は、弟刈羽田刀弁(おとかりはたとべ)、刈羽田刀弁(かりはたとべ)と記し、姉妹とします。
『記』開化系譜に、刈幡戸弁(かりはたとべ)もみえます。
『記』開化系譜 山代之荏名津比売(亦名刈幡戸弁) │ ┌───大俣王──┬───曙立王〈伊勢品遅部君・伊勢佐那造祖〉 │ │ └───菟󠄁上王〈比売陀君祖〉 ├───┼───小俣王〈当麻勾君祖〉 日子坐王 └───志夫美宿禰王〈佐々君祖〉
『記』垂仁系譜
山代大国之淵─┬─刈羽田刀弁 ┌─落別王〈小月山君・三川衣君祖〉
│ ├────┼─五十日帯日子王〈春日山君・高志池君・春日部君祖〉
│ │ └─伊登志別王
│ 伊久米伊理毘古伊佐知命(垂仁)
│ ├────┬─石衝別王〈羽咋君・三尾君祖〉
└─弟刈羽田刀弁└─石衝毘売命(亦名布多遅能伊理毘売命)〈倭建命后〉
『紀』垂仁系譜
山背苅幡戸辺 ┌───祖別命
├─────┼───五十日足彦命〈石田君始祖〉
│ └───胆武別命
活目入彦五十狭茅(垂仁)
├─────────磐衝別命〈三尾君始祖〉
山背大国不遅──綺戸辺
「綺」「苅幡」「刈羽田」「刈幡」は、いずれも山背国の地名とみられます。
『紀』綺戸辺の父は「山背大国不遅」、『記』弟刈羽田刀弁・刈羽田刀弁の父は「山代大国之淵」とあり、『和名抄』山城国宇治郡大国郷との関係が窺われますが、大国郷は遺称地もなく不明となっています。
「刈羽田」は、『記』安康記にみえる、顕宗・仁賢の兄弟が猪飼の老人に食糧を奪われた「山代の苅羽井」に関わる土地かと推測され、山城国綴喜郡大住郷の樺井月神社の鎮座地、木津川の「樺井の渡」の地に比定されます。(→ 苅羽井の猪飼)
『和名抄』に、山城国相楽郡蟹幡(かむはた)郷がみえ、京都府木津川市山城町綺田(かばた)に比定され、式内社の綺原坐健伊那大比売神社、蟹の恩返しの伝承の蟹満寺があります。(→ 山城国相楽郡蟹幡郷の蟹満寺)
「綺」「苅幡」「刈羽田」「刈幡」に関わるとみられる土地は、宇治郡大国郷・綴喜郡大住郷・相楽郡蟹幡郷と、宇治川・木津川流域に分布します。