『和名抄』山城国相楽郡蟹幡(かむはた)郷に比定される、京都府木津川市山城町綺田に蟹満寺があります。
蟹満寺は、「綺幡寺」「蟹幡寺」「加波多寺」「蟹満多寺」とも表記され、『今昔物語集』『元亨釈書』『古今著聞集』などにみえる「蟹の恩返し伝承」で知られます。
『今昔物語集』巻16-16「山城の国の女人観音の助けに依りて蛇の難を遁るる語」は次のような話です。
ある日、観音を厚く信仰する娘は村人に捕まった蟹を助けました。いっぽうで、娘の父は、田んぼで蛇に襲われた蛙を助けるため、蛇と、娘を婿にする約束をしてしまいました。夜、貴人に姿を変えた蛇が家に来ました。三日待ってほしいと伝えると、三日後、また蛇が来ました。娘が蔵に隠れると、外で蛇が荒れ狂いました。蔵の中で観音経を唱える娘のまえに美しい僧が現れ、「観音様が助けてくださるでしょう」と言いました。やがてあたりが静かになりました。夜が明けて外をみると、大きな蟹が率いる幾千万の蟹が蛇を刺し殺して去って行くところでした。蛇の骸を葬って供養し寺を建てました。これが蟹満多寺のはじまりです。
蟹満寺の北に、式内社の綺原坐健伊那大比売神社が鎮座します。
「健伊那大比売(たけいなだひめ)」は、美称を外すと、八岐大蛇神話の奇稲田姫(くしいなだひめ)と同名であり、「蟹の恩返し伝承」は、スサノヲを蟹に置き換えた、八岐大蛇神話の翻案とみられます。
綺田に南接する平尾地区に鎮座する、式内社の和伎坐天乃夫支売神社の祭神の「天乃夫支売(あめのふきめ)」は、『紀』神代紀第8段一書第4にみえる天之葺根(あめのふきね)を女性化した神とみられます。
八岐大蛇の尾から出現しスサノヲが得たという草薙剣は、天之葺根によって天に返されることから、当該地域は草薙剣と深い関係をもつことがわかります。
また、『紀』垂仁紀34年3月条にみえる垂仁の妃、綺戸辺(かにはたとべ)は当地の関係勢力とみられますが、『記』によると、かにはたとべの子の石衝毘売命はヤマトタケルの后とあり、ヤマトタケルは草薙剣を尾張に残して悲劇の死を遂げており、やはり草薙剣と関係を示します。(→ 三尾君の始祖系譜)
また、山城国相楽郡に北接する綴喜郡・紀伊郡にも、蟹の伝承が見られます。(→ 南山城の蟹の伝承と掃守)