尾張国海部郡の伊久波神社

愛知県稲沢市平和町下三宅郷内に鎮座する伊久波神社は、祭神を的臣祖とする、尾張国海部郡の式内社です。

『張州府志』(宝暦2年(1752)成立の尾張藩撰の地誌)に「生桑天神祠」とみえ、次のように記されます。

在三宅村、今称生桑神明、按延喜神名式曰、海部郡伊久波天神、本国帳従三位伊久波天神、一作生桑、按姓氏録曰、的臣、建内宿禰男、葛城襲津彦命之後也、今三宅村与海東郡接境、生桑祠在村東南隅、恐是当時属海部郡、且津島天王祠旧在三宅、洪水流蕩、遷于津島、津島祠内有弥五郎祠者、堀田氏祀其祖武内宿禰、恐移生桑神祠者也、

(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):愛知県:中島郡>平和町>三宅村>伊久波神社)

鎮座地は、『和名抄』尾張国中島郡三宅郷に比定される地域ですが、海部郡の式内社となっており、『和名抄』の中島郡三宅郷と海部郡三宅郷がこのあたりを境として接続していたことが推測されます。

当該地は、『紀』安閑紀2年5月条の「尾張国間敷屯倉」、『紀』宣化紀元年5月条に「蘇我大臣稲目宿禰は、尾張連を遣して、尾張国の屯倉の穀を運ばしむべし」とある「尾張国屯倉」に比定されます。

6世紀前半に生産性の高い重要地として王権が掌握した土地に、葛城襲津彦後裔の的(いくは)臣の拠点とみられる伊久波神社があることに注目します。

尾張国海部郡は、「尾張大海媛」「高尾張」の属性を共有する大和葛城と密接な関係を持つことがわかっています。(→ 尾張大海媛と大和国葛上郡・尾張国海部郡

的臣の拠点の存在は、2地域の関係が5世紀前半の葛城襲津彦の時代に遡る可能性を示しています。

また、(真偽は定かではありませんが)伊久波神社を、津島神社(愛知県津島市神明町)の元宮とする伝承があることも興味深く感じます。

◇ 伊久波神社の南西1.4kmにある売夫神社は、尾張国中島郡の式内社で、イキシニホと関係を持つ。葛城襲津彦とイキシニホの属性が重複することに注目する。(→ 尾張国中島郡の売夫神社

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