『記』『紀』垂仁段に、火を放たれた砦から助け出されたホムツワケが天湯河板挙を中心とする群臣の尽力によって言葉を取り戻す物語がみえます。
『姓氏録』に、天湯河板挙の後裔氏族が5氏みえます。
右京神別上 | 鳥取連 | 角凝魂命三世孫天湯河桁命之後也 |
山城国神別 | 鳥取連 | 天角己利命三世孫天湯河板挙之後也 |
河内国神別 | 美努連 | 同神四世孫天湯川田奈命之後也 |
| 鳥取 | 同神三世孫天湯河桁命之後也 |
和泉国神別 | 鳥取 | 角凝命三世孫天湯河桁命之後也 |
鳥取連の本拠地は、河内国大県郡鳥坂郷・鳥取郷とされ、鳥坂郷域に式内社の天湯川田神社と宿奈川田神社が鎮座し天湯河板挙を祀ります。
天湯川田神社の鎮座地は、大和川が山間部から河内の平野部へ流れ出る谷口に突き出た、石川との合流地に近い丘陵の突端にあたり、要衝を掌握していたことが窺えます。
天湯川田神社は、高井田廃寺とよばれる奈良時代前期創建の古代寺院跡として知られ、「鳥坂寺」の墨書銘のある土器が発見されて、『続日本紀』天平勝宝8年(756)2月25日条にみえる、孝謙天皇巡拝の河内6寺の1つ、鳥坂寺跡と確定されています。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge)大阪府:柏原市>高井田村、高井田村>高井田廃寺跡)
宿奈川田神社は、天湯川田神社の南東500m、大和川に面して鎮座します。
宿奈川田神社の「宿奈」については、「天神本紀」に「少彦根命 鳥取連等祖」とみえることから少彦名を示すものと思われます。
また、鳥坂郷・鳥取郷に北接する大県郷に属する、古墳時代後期の鉄製品を造るための鍛冶炉や製作に伴う多数の遺物が出土した大県遺跡(大阪府柏原市平野)が注目されます。(柏原市教育委員会『大縣の鉄』1997年)
鳥取連と同祖関係にある美努連は、生駒山地西麓の河内国若江郡の御野県主神社(大阪府八尾市上之島町)を本拠地とし、『紀』清寧即前紀にみえる三野県主小根の話は、王権による吉備上道臣の製鉄・鍛造勢力掌握と連動します。(→ 三野県主小根)
また、狭穂媛の後任の后となった日葉酢媛の子である五十瓊敷入彦が茅渟の菟砥川上流の鳥取部に剣を造らせたことが『記』『紀』にみえます。(→ 五十瓊敷と茅渟菟砥川上宮)
ホムツワケ伝承は、鉄の精錬・鍛造集団の集積を描いた寓話と推測されます。(→ ホムツワケ伝承と製鉄)