『記』『紀』垂仁段に、ホムツワケ伝承がみえます。
垂仁天皇の后の狭穂媛は、謀反に失敗した兄の砦に、子の誉津別（ホムツワケ）を連れて隠り、火を放たれた砦からホムツワケだけが助け出されます。（『記』は、本牟智和気（ホムチワケ）と表記します）
ホムツワケは言葉を失っており、群臣の尽力によって復活を果たします。
『紀』では、天湯河板挙が出雲で捕らえた鵠（くぐい・白鳥の古名）と遊んで、言葉を発しました。（→ ホムツワケ伝承と鳥取連）
『記』では、山辺大鶙が高志国の和那美水門で捕らえた鵠を献上しましたが効果なく、占いで出雲大神の祟りとわかったので、曙立王と菟上王がホムチワケを連れて出雲へ行って大神を拝むと、帰途、言葉を発しました。
『記』『紀』のあいだで経過が異なりますが、出雲が解決の鍵となったことは共通します。
ホムツワケと出雲はどのような関係にあったのか。
『記』では、ホムツワケは出雲大神を拝した後、肥河（斐伊川）に黒い樔橋を作り仮宮を構え、出雲国造祖岐比佐都美が献上した大御食を見て、次のように言います。
是の、河下にして、青葉の山の如きは、山と見えて、山に非ず。
若し出雲の石クマの曾宮に坐す葦原色許男大神を以ちいつく祝が大庭か。
岐比佐都美は、「出雲石クマ曾宮に坐す葦原色許男大神を以ちいつく祝」とみられます。
『出雲国風土記』出雲郡漆治郷条と神名火山条に次のようにみえます。
神魂の命の御子、天津枳比佐可美高日子の命の御名を、又、薦枕志都治値と云す。
この神郷の中に坐す。故れ、志丑治と云ふ。〈神亀三年、字を漆治と改む。〉
『出雲国風土記』出雲郡漆治郷条
曽支能夜の社に坐す、伎比佐可美高日子の命の社、すなはちこの山の厳に在り。
故れ、神名火山を云ふ。
『出雲国風土記』出雲郡神名火山条
岐比佐都美（きひさつみ）は、『出雲国風土記』の「枳（伎）比佐可美（きひさかみ）高日子命」と同神もしくは関係神と考えられています。（新編日本古典文学全集『風土記』1997年、209頁注10）
「出雲石クマ曾宮」は、『出雲国風土記』の「曽支能夜（そきのや）の社」とみられ、同社は、『延喜式』神名帳の出雲国出雲郡に「曾枳能夜神社」と記され、仏経山の北麓、島根県出雲市斐川町神氷に鎮座します。
天津枳比佐可美高日子の亦の名の「薦枕志都治値（こもまくらしつち）」の名に因む出雲郡漆治郷は、島根県出雲市斐川町直江を含む一帯に比定されます。（『日本歴史地名大系』（JapanKnowledge）：島根県：出雲国＞出雲郡・出東郡・出雲郡＞漆治郷）
いっぽう、『紀』に、天湯河板挙が出雲のどこで鵠を捕らえたのかは記されておりませんが、『姓氏録』右京神別上の鳥取連の項に「出雲国の宇夜江」とあります。
『出雲国風土記』出雲郡健部郷条に、次のようにみえます。
先に宇夜の里と号けし所以は、宇夜都弁の命、その山に天降り坐しき。
すなはち彼の神の社、今に至りても猶ほ此処に坐す。
故れ、宇夜の里と云ひき。
その後、改めて健部と号くる所以は、
纏向の檜代の宮に御宇しし天皇、勅りたまひしく、
「朕が御子、倭健の命の御名を忘れじ」とのりたまひて健部を定め給ひき。
その時、神門の臣古祢を、健部と定め給ふ。
すなはち健部の臣等、古より今に至るまで、猶ほ此処に居まひす。
故れ、健部と云ふ。
出雲郡健部郷は、宇夜都弁命が天降りしたことから「宇夜の里」とよばれていたが、ヤマトタケルの名を残すため健部を定め健部郷となったと記されます。
健部郷は、遺称地とされる島根県出雲市斐川町三絡（みつがね）の武部を含む、仏経山北麓に比定され、郷域に荒神谷遺跡があります。（『日本歴史地名大系』（JapanKnowledge）：島根県：出雲国＞出雲郡・出東郡・出雲郡＞健部郷）
漆治郷と健部郷の2郷は仏経山北麓に並んで位置し、『記』『紀』ともに、ホムツワケ復活の鍵は、出雲国出雲郡のきわめてせまい地域にあったことを示しています。
この話は何を意味するのか。
『出雲国風土記』健部郷条の「神門の臣古祢」に注目します。
「神門の臣古祢」は、『紀』崇神紀60年7月条にみえる出雲振根を示します。
出雲振根は、出雲大神の宮で「武日照命の神宝」を管理する役にありましたが、大王配下の人たちに神宝を奪われたうえ、殺されて、しばらくのあいだ、出雲臣等は出雲大神の祭祀を中止したことが記されます。（→ 出雲振根の討伐）
『紀』では、出雲振根はイヅモタケルとよばれ、吉備津彦と武渟河別に殺されましたが、『記』では、イヅモタケルはヤマトタケルに殺されたことになっており、『出雲国風土記』の健部の話につながります。
仏経山北麓は、出雲振根の有力な拠点でしたが、振根殺害後、大王の支配下に置かれたとみられます。
ホムツワケは、出雲大神の祟りで言葉を失い、当地にアクセスして言葉を取り戻しています。
ホムツワケ伝承は、出雲振根の殺害によって王権に何か重大な不都合が生じ、出雲との和解へ政策転換したことを描く話ではないかと考えます。
◇ ホムツワケ伝承についてもっと広く知りたいかたは、「出雲の神宝は返されたのか」へどうぞ。
