隼人阿多君と海幸山幸神話

海幸山幸神話では、阿多で生まれた兄弟神、「海幸」と「山幸」が敵対し、海神を味方につけた「山幸」が勝って、「海幸」は命乞いし服従を誓います。

『紀』に、「海幸」はホスソリ、「山幸」はホデミ、『記』に、「海幸」はホデリ、「山幸」はホヲリとあり、『記』『紀』のあいだで神名が異なりますが、皇孫と隼人の祖の対立という構図は共通します。

「海幸」について、『記』『紀』は次のように記します。

火照命〈此は、隼人の阿多君が祖ぞ〉

『記』神代記

其れ火闌降命は、即ち吾田君小橋等が本祖なり

『紀』神代紀第10段本文

火酢芹命の苗裔、諸の隼人等

『紀』神代紀第10段一書第2

「海幸」は、「隼人阿多君」「吾田君小橋」「隼人」の祖であることがわかります。

「海幸」は、「山幸」に対し次のような服従の言葉を伝えます。

今より以後、吾は汝の俳優の民たらむ。

『紀』神代紀第10段本文

今より以往は、吾が子孫の八十連属に、恒に汝の俳人と為らむ。

一に云はく、狗人といふ。

『紀』神代紀第10段一書第2

若し我を活けたまへらば、吾が生の児の八十連属に、

汝の垣辺を離れずして、俳優の民たらむ。

『紀』神代紀第10段一書第4

僕は、今より以後、汝命の昼夜の守護人と為て仕へ奉らむ。

『記』神代記

「俳優の民」「俳人」「俳優者」あるいは「狗人」「守護人」となることを誓っています。

「俳優の民」「俳人」「俳優者」とは何を示すのか、『紀』神代紀第10段一書第4と『記』に具体的な記述がみえます。

乃ち足を挙げて踏行みて、其の溺苦びし状を学ふ。

初め潮、足に漬く時には、足占をす。

膝に至る時には足を挙ぐ。

股に至る時には走り廻る。

腰に至る時には腰を捫ふ。

腋に至る時には手を胸に置く。

頸に至る時には手を挙げて飄掌す。

爾より今に及るまでに、曾て廃絶無し。

『紀』神代紀第10段一書第4

今に至るまで其の溺れし時の種々の態絶えずして、仕へ奉るぞ

『記』神代記

これらは、践祚大嘗祭の隼人舞において演じられた「溺れる所作」を示すと推測されています。

「狗人」については、『紀』神代紀第10段一書第2、『令集解』職員令に次のようにみえます。

今に至るまでに天皇の宮墻の傍を離れずして、

代に吠ゆる狗して奉事る者なり。

『紀』神代紀第10段一書第2

已に犬となりて、人君に仕へ奉らば、則ち隼人と名づくるのみ

『令集解』職員令

これらは、『延喜式』隼人司条にみえる、元日・即位及び蕃客入朝の儀に今来隼人が吠声3節を発することを示すといわれています。

「得意分野」である「海」で「溺れる」、「犬吠え」など、隼人に対して屈辱を強要するものであることがわかります。

◇ 『紀』に「神武はホデミ」と記され、『記』に「阿多小椅君」の妹が神武天皇の最初の妃とあって、海幸山幸神話と神武伝承に共通要素がみられる。(→ 神武と海幸山幸神話の相関性

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