春日大社(奈良県奈良市春日野町)は、『延喜式』神名帳の大和国添上郡に「春日祭神四座」とみえ、武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神の4神を祭神とします。
石上神宮(奈良県天理市布留町)は、『延喜式』神名帳の大和国山辺郡に「石上坐布都御魂神社」とみえ、布都御魂神を祭神とします。
春日大社の「経津主(ふつぬし)」、石上神宮の「布都御魂(ふつのみたま)」が「ふつ」を共有することに注目し、6つの着眼点を示します。
① 『延喜式』春日祭祝詞に、春日神について、鹿嶋坐健御賀豆智命・香取坐伊波比主命・枚岡坐天之子八根命・比売神の4神とみえ、第2神は「経津主」ではなく「香取坐伊波比主命」となっています。
「香取坐伊波比主命」は、『紀』神代紀第9段一書第2に、経津主神と武甕槌神が葦原中国を平定する前に、天の悪しき神である天津甕星(亦の名天香香背男)を誅伐した際に、「斎主の神を斎の大人と号す。此の神、今東国の檝取の地に在す」とみえます。
鹿嶋神宮と香取神宮が相対するかたちで鎮座し、『紀』神代紀第9段国譲り神話で、武甕槌神と経津主神のペア神が活躍するすることから、「斎(いはひ)の大人(うし)」は経津主神と考えられています。
しかし、『紀』神代紀第9段本文「一云」に、天香香背男は倭文神建葉槌に誅伐されたとみえ、武甕槌神・経津主神の葦原中国平定とは別の物語であることが垣間見られます。
「香取坐伊波比主命」は、倭文神による天香香背男討伐の文脈に現れる神であり、伊波比主=経津主とは単純にはいえないと思われます。
② 神武東征伝承において、高倉下が齎した剣が、熊野で倒れた神武を救います。
剣は、武甕雷神が葦原中国平定に使用したもので、『紀』に「韴霊(ふつのみたま)」、『記』に「佐士布都神」「甕布都神」「布都御魂」「此の刀は、石上神宮に坐すぞ」記されます。
武甕雷神の剣で「ふつ」を称するというと「経津主」かと思われますが、石上神宮の「布都御魂」を指します。(→ 神武東征伝承の布都御魂)
③ 物部連(石上朝臣)と春日臣(布留宿禰)の2氏が石上神宮の起源伝承を伝えています。
『紀』垂仁紀87年2月条に、物部連が石上神宮の神宝を司る起源となった物部十市根の話がみえ、『姓氏録』に、物部氏の筆頭が石上朝臣を称することに符合します。
いっぽう、『紀』垂仁紀39年10月条一云に、87年2月条と同じ神宝を「春日臣の族、名は市河」が治めたと記されます。
この話は、『姓氏録』大和国皇別の布留宿禰にみえる、天足彦国押人命7世孫米餅搗大使主命の男木㕝命の男市川臣が布都努斯神社を祭祀したという記述に符合します。(→ 石上神宮の起源伝承)
④ 春日臣の本拠地は、春日大社の鎮座地である春日の地とされます。
『記』『紀』孝昭系譜の天足彦国押人(天押帯日子)後裔を称する、和珥氏は、奈良県天理市和爾の地より発し、やがて春日を本拠地として、春日臣を称したと考えられています。
③④を合わせると、春日臣は、石上・春日の双方に関与したことがわかります。
⑤ 『延喜式』神名帳の大和国添下郡の添御県坐神社の有力な論社である奈良県奈良市三碓の添御県坐神社は、中臣氏と同祖関係にある添県主の奉祭神とみられますが、物部氏の発祥地である鳥見を鎮座地とし、また、社伝は、和珥氏系の小野臣を創始者と伝えます。(→ 大和国添下郡の添御県坐神社)
⑥ 『記』と『紀』神代紀第5段一書第6に、武甕槌神と経津主神の誕生が描かれます。
『記』は、剣の根元に付いた血が岩群に滴り、「甕速日神」「樋速日神」「建御雷之男神」の3神が生まれ、「建御雷之男神」の亦の名が「建布都神」「豊布都神」と記し、『紀』神代紀第5段一書第6は、剣の刃から垂れた血から「経津主神の祖」が生じ、剣の鐔から垂れた血が「甕速日神」「熯速日神」となり、「甕速日神」は「武甕槌神の祖」と記します。(→ イザナキ神話のタケミカヅチ・フツヌシ)
武甕槌神と経津主神と一緒に生まれたという「甕速日神」「樋速日神(熯速日神)」の神名は、「饒速日」「津速魂」と「速日」「速」を共有します。
①〜⑥のほかに、③の「市川臣」の父「木㕝(こごと)命」と⑤の「津速魂尊」の孫「興登魂(こごと)尊」の名が同じであること、また、『丹生祝氏本系帳』に「津速魂」が「血速(ちはや)魂」と記されますが、『記』『紀』孝霊系譜にみえる「春日乳早山香媛(春日千々速真若比売)」の「乳早(ちはや)」と一致することも注目されます。
「武甕槌」「布都御魂」「伊波比主」「津速魂(饒速日・甕速日・熯速日・血速・乳早)」は、曾て存在した、生駒を含めた、春日と石上の2地域を包括する勢力の属性であり、春日臣がその痕跡を伝えていると考えます。
中臣氏の起源は古く遡るものではなく、7世紀半ばに「武甕槌神」を再起動させ、昔日のネットワークを掌握し、同時に春日の勢力の系譜・伝承を取り込んで成立したものと思われます。(→ 鹿嶋神の成立)
国譲り神話の「経津主神」は、「布都御魂神」の属性を持ちながら「武甕槌神」と近しい関係にあります。
国譲り神話の年代観は、中臣氏成立と同時期とみられ、「布都御魂神」関係勢力の掌握を意図して「経津主神」の観念を創造し、やがて、春日第2神の「香取坐伊波比主命」を「経津主神」と同神と見立てたと推測します。(→ 春日神の成立と国譲り神話の年代観)
物部氏については、最終的に、天武朝の石上朝臣麻呂の頃に、昔の石上の勢力の系譜・伝承を掌握したと考え、雄略朝から崇峻朝までの実態(旗幟)については精査が必要かと思われます。