『紀』神功紀元年2月条に、住吉大社の起源に付随して、広田神社・生田神社・長田神社の創始についての記述がみえ(→ 広田神社・生田神社・長田神社の起源)、次のような祭祀者の名が記されています。
広田神社 | 山背根子が女葉山媛 |
生田神社 | 海上五十狭茅 |
長田神社 | 葉山媛の弟長媛 |
広田社・長田社の祭祀者は姉妹であり、山背根子の娘とされます。
山背根子については、『姓氏録』摂津国神別の山直の条に「天御影命の11世孫、山代根子の後なり」とみえ、天御影命は天津彦根の子なので、天津彦根の神系に属することがわかります。
生田社の祭祀者、 海上五十狭茅については、上総国・下総国の海上郡との関係が想起されます。
上総国・下総国の海上郡の勢力は、上菟上国造・下菟上国造ですが、『記』ウケヒ神話の系譜によると、2国造は、天津彦根の兄である建比良鳥の後裔氏族と記されます。
広田神社・生田神社・長田神社の祭祀者は、「天津彦根」と密接な関係が窺われます。
また、生田神社・長田神社は、『延喜式』神名帳では、摂津国八部郡に属しますが、八部郡は、古くは、東に接する兎原郡とともに「雄伴国(郡)」と称され、8世紀の初めには「荒田郡」とよばれていました。
「雄伴国(郡)」に、「天津彦根」の後裔氏族である凡河内直の痕跡が認められます。
天平19年(747)の法隆寺伽藍縁起并流記資財帳に、雄伴郡宇治郷の「宇奈五岳」がみえ、東限を「弥奈刀川」、南限を「加須加多池」、西限を「凡河内寺山」、北限を「伊米野」と記しています。
(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):兵庫県:摂津国>八部郡)
「宇奈五岳」は、神戸市兵庫区の会下山に比定され、その西に、「凡河内寺」が所在したことがわかります。
「凡河内寺」は、凡河内直の氏寺とみられ、長田神社北東の台地上にある白鳳期・奈良期の瓦が出土した房王寺廃寺を「凡河内寺」とみる見解もあります。
(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):兵庫県:神戸市>長田区>長田村)
また、『延喜式』神名帳の摂津国兎原郡に河内国魂神社がみえ、神戸市灘区国玉通に鎮座する同名社に比定されています。
奉祭氏族は、当地に居住した河内地方の国造である凡河内直と考えられています。
(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):兵庫県:神戸市>灘区>五毛村>河内国魂神社)
このようにみてくると、『紀』神功紀に、住吉大社に付随して起源が記される、広田神社・生田神社・長田神社の鎮座地域、摂津国武庫郡・菟原郡・八部郡に、天津彦根の属性が重複していることがわかります。
住吉大神と天津彦根の属性重複は、長門国豊浦郡・周防国佐波郡においても認められます。
(→ 長門の住吉坐荒御魂神社)(→ 沙麼県主の祖内避高国避高松屋種)