菟道稚郎子・大山守・大鷦鷯

『記』に、次のような応神天皇の発言がみえます。

大山守命は、山海の政を為よ、

大雀命は、食国の政を執りて白し賜へ、

宇遅能和紀郎子は、天津日継を知らせ。

宇遅能和紀郎子を後継の王とし、大山守は「山海の政」、大雀は「食国の政」を執るよう命令しています。(『紀』では、宇遅能和紀郎子を菟道稚郎子、大雀を大鷦鷯と表記)

大山守は、このことを不満に思って謀反を企てましたが、事前に知った大雀が宇遅能和紀郎子に伝え、宇治川に沈められて死にました。

応神の没後、宇遅能和紀郎子は即位せず、大雀と王位を譲り合っているうちに亡くなり(『紀』は、自死とする)、大雀が即位し仁徳天皇となります。

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