『記』に、応神が3人の子たちに次のように言ったことがみえます。
大山守命は、山海の政を為よ、
大雀命は、食国の政を執りて白し賜へ、
宇遅能和紀郎子は、天津日継を知らせ。
菟道稚郎子(宇遅能和紀郎子)を後継の王とすること、大山守皇子(大山守命)・大鷦鷯皇子(大雀命)は、それぞれ、「山海の政」「食国の政」を執り、王を補佐する体制が示されています。
応神の指示を不満に思った大山守皇子は謀反を起こしました。
ところが、謀反を事前に察知した大鷦鷯皇子が、菟道稚郎子に知らせたため、逆に、大山守皇子は船から宇治川に落とされ死んだことが『記』『紀』にみえます。
その後、応神が亡くなると、菟道稚郎子は即位せず、大鷦鷯皇子と王位を譲り合い、そのさなかに亡くなり、『紀』では、自死とされ、大鷦鷯皇子(仁徳)が王となります。
◇ 大山守皇子は、出雲との関係が認められる。(→ 大山守皇子・額田大中彦皇子と山守と出雲)