住吉大神が沙麼県主の祖内避高国避高松屋種に懸かって現れたことが、『紀』神功摂政前紀にみえる異伝に書かれています。
沙麼県主の拠点である沙麼県とは、『和名抄』の周防国佐波郡佐波郷であり、山口県防府市西佐波令・東佐波令にあたります。
「周芳の娑麼」(『紀』景行紀12年9月条)、「周芳の沙麼の浦」(『紀』仲哀紀8年正月条)と、『紀』に記されるように、佐波津は、古代における、瀬戸内海航路の要衝であり、律令制下には、周防国衙が置かれました。
いっぽう、周防国の最有力勢力とみられる周防国造の本拠地は、『和名抄』の周防国熊毛郡周防郷、島田川流域の山口県光市大字小周防付近であるといわれます。
支配領域は、熊毛郡と玖珂郡(養老5年(721)に熊毛郡から独立)と推測され、茶臼山古墳(柳井市柳井)、白鳥古墳・神花山古墳(熊毛郡平生町佐賀)がその奥津城と考えられています。
周防国造と沙麼県主の拠点は、直線距離にして、36.5km離れており、地域的な一体性は認められません。
『記』のウケヒ神話の系譜に、天津彦根後裔氏族として「周芳国造」がみえ、「国造本紀」に、周防国造について、「軽嶋豊明朝 茨城国造同祖 加米乃意美定賜国造」とあり、茨城国造について、「軽嶋豊明朝御世 天津彦根命孫筑紫刀禰定賜国造」とあることから、周防(周芳)国造は、天津彦根後裔であり、天津彦根と住吉大神に密接な関係があることがわかります。
住吉大神と天津彦根の関係は、長門国豊浦郡、摂津国武庫・菟原・八部郡においても認められます。(→ 広田神社・生田神社・長田神社と天津彦根)(→ 長門の住吉坐荒御魂神社)
また、河内国高安郡の式内社、恩智神社(大阪府八尾市恩智中町)は、『住吉大社神代記』によると、住吉大神と深い関係を持ち、また、周防国佐波郡の玉祖神社(山口県防府市大崎)から勧請されたという高安郡の玉祖神社(大阪府八尾市神立)とも密接な関係が認められます。(→ 玉祖神社と恩智神社)
周防国佐波郡は、5世紀末に紀臣より分裂した角臣の拠点である、角国でもある。(→ 紀大磐宿禰と紀臣の分裂)