恩智神社は、生駒山地の高安山の南西の山麓、大阪府八尾市恩智中町に鎮座し、『延喜式』神名帳に、河内国高安郡の名神大社としてみえます。
祭神は、大御食津彦大神・大御食津姫大神であり、神官家について、『姓氏録』河内国神別に、「恩智神主 高魂命の児、伊久魂命の後なり」とみえます。
『住吉大社神代記』胆駒神南備山本記に、恩智神についての記述がみえます。
唐国大神、通ひ渡り賜ふ時に、乎理波足尼命、此の山の坂木を以ちて、
迹驚岡に神降し坐せまつる。
岡に斎き祀る時に、恩智神、参り坐しき。
仍りて、墨江に通ひ参れり。
因りて、猿の往来絶えぬは、此れ其の験なり。
〈母木里と高安国との堺に諍石在置り。
大神、此の山に久に誓ひ賜ひて、
「草は火に焼け、木は朽つるとも、石は久遠に期らむ」と、のりたまひき。〉
住吉大神(唐国大神)が、九州から来て、生駒山の迹驚岡に祭祀された時、恩智神が参上し、以来、恩智神は、住吉に通うようになったと記されます。
近世に、恩智神社の大祭礼とされた、6月27日の御祓御幸神事では、恩智の神輿が、河内国渋川郡の鞍作村の御旅所まで行き、住吉大明神の神主の出迎えを受け、一泊して翌日還御していました。
(『日本歴史地名大系(JapanKnowledge)』大阪府:八尾市>恩智村>恩智神社)
恩智神社と住吉大社が密接な関係にあることがわかります。
◇ 恩智神社周辺に、天照大神高座神社・玉祖神社・掃守神社など神話伝承と関わりをもつ神社が密集し、秦氏の寺が所在するなど、当該地域の特殊な性格が窺える。(→ 河内国高安郡の特殊性)
◇ 神武東征伝承にみえる「母木(おものき)」は、恩智神社付近の地名である。(→ 母木(おものき))