『記』『紀』に、崇神天皇の妃として尾張大海媛(尾張連祖意富阿麻比売)がみえます。
子どもは次のとおりです。
『紀』
崇神
├────────┬─八坂入彦
尾張大海媛 ├─渟名城入姫
└─十市瓊入媛
『記』
崇神
├────────┬─大入杵(能登臣祖)
尾張連祖意富阿麻比売├─八坂之入日子
├─渟名木之入日売
└─十市之入日売
尾張大海媛は、名称から尾張国海部郡の人とみられますが、大和国葛上郡との関係も認められ、2地域を結ぶネットワークが推測されます。(→ 尾張大海媛と大和国葛上郡・尾張国海部郡)
尾張大海媛のネットワークに関与するのはどの勢力なのか、次の点に注目します。
① 尾張大海媛の「大海」は、大海人皇子(天武天皇)の「大海」と共通します。
『紀』天武紀元年6月条によると、大海人皇子の「湯沐」(軍事的経済的基盤)は美濃国安八郡にあり、神八井耳後裔の多臣品治が統括者である「湯沐令」を務めていました。(→ 神八井耳と美濃・尾張)
『記』にみえる神八井耳後裔氏族の島田臣の本拠地は、尾張国海部郡嶋田郷であり、海部郡に北接する中島郡にも太神社が所在し神八井耳の拠点が認められます。(→ 河内志紀と尾張を結ぶ神八井耳)
美濃国安八郡・尾張国海部郡・中島郡はたがいに隣接し、「大海」とは、一帯に形成されていた神八井耳の勢力圏を示す名称ではないかと思われます。
② 奈良県御所市蛇穴に鎮座する野口神社は、神八井耳の兄、彦八井耳を祭神とします。
野口神社は、「掖上」地域の重要な湧水池の神としての性格をもち、神八井耳が大和国葛上郡の要衝を掌握していたことがわかります。(→ 葛城の掖上)
③ 尾張大海媛の子として、十市瓊入媛がみえますが、「十市」は、多氏の本拠地である大和国十市郡に因るものと推測されます。(→ 多坐弥志理都比古神社)
①②③から、『記』『紀』崇神段の尾張大海媛の系譜は、大和国葛上郡・美濃国安八郡・尾張国海部郡・中島郡を繫ぐ神八井耳系勢力を示すと思われます。
『記』にみえる大入杵は能登臣祖とあり、能登国との繋がりも認められます。(→ 能登国造の系譜)