『延喜式』神名帳に、丹波郡桑田郡の名神大社として、小川月神社と出雲神社がみえます。
小川月神社(京都府亀岡市馬路町月読)は、馬路の集落の西南、大堰川(桂川)の東岸に鎮座し、月読尊を祭神とします。
『和名抄』桑田郡小川郷は、大堰川西岸の亀岡市千代川町小川を遺称地とします。
大堰川は、しばしば流路をかえており、現在、小川月神社の東を流れる古川がその名残とされ、つまり、小川月神社は元来は大堰川の西岸に位置し、その一帯が小川郷であったと推測されます。
また、社伝によると応仁(1467~1469)の頃洪水のため社地を流出したといわれます。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):京都府:亀岡市>馬路村>小川月神社、丹波国>桑田郡>小川郷)
また、馬路の集落の東を、南北に古代山陰道と推定される道が通じ、道沿いにある、近世の馬路村・中村・河原尻村の3村が接する三日市は、元馬路とよばれ、馬路の集落はここから西方低地の開発に従って現在地に移ったと伝わります。
三日市について、北200m に、丹波地方最大の前方後円墳である千歳車塚古墳、南1.3kmに、丹波国分寺跡(亀岡市千歳町国分桜久保)・国分尼寺推定地の御上人林廃寺跡(亀岡市河原林町河原尻)があり、古代の丹波国桑田郡の中心地域の1つと考えられています。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):京都府:亀岡市>馬路村)
三日市の北東860mに、丹波国一宮、出雲大神宮(亀岡市千歳町出雲)が鎮座します。
『延喜式』神名帳には出雲神社と記され、大己貴尊・三穂津姫命を祭神とし、出雲大社の分霊を勧請したとの伝承があり、江島里・出雲・中・小口・馬路の産土神とされます。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):京都府:亀岡市>出雲村>出雲大神宮)
いっぽう、『和名抄』桑田郡桑田郷は、亀岡盆地東南部、式内社の桑田神社(亀岡市篠町山本)の鎮座地周辺に比定され、郡衙も当郷にあったと推測されます。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):京都府:丹波国>桑田郡>桑田郷)
桑田郷に、中世、松尾社領桑田庄が成立しました。
松尾大社(京都府京都市西京区嵐山宮町)は、亀岡盆地から山間部をぬけて京都盆地に入るところに位置し、松尾の勢力が、桂川(保津峡)を通して亀岡盆地の東端部に及んでいたことがわかります。
松尾大社の南400mに鎮座する、摂社の松尾月読神社は、『延喜式』神名帳に葛野坐月読神社と記され、『紀』顕宗紀にみえる、王権による月神祭祀の創始の地「歌荒樔田」とされます。(→ 葛野坐月読神社)
建久8年(1197)2月24日付松尾神宮政所下文(松尾大社東家文書)に、桑田庄について、「桑田ハ小川神戸田の異名也」と記され、小川月神社との関係を記します。
このことから、まず、亀岡盆地の小川郷と桑田郷の2郷は密接な関係にあること、次に、2郷は山城国葛野郡の松尾と繋がっていること、さらに、小川月神社と葛野坐月読神社が繋がっていることがわかります。
『紀』継体即位前紀に、武烈天皇の没後、後継王に推戴しようとした丹波国桑田郡の倭彦王が逃げてしまった話がみえます。
なぜ、丹波国桑田郡なのか、5世紀末に祭祀された月神と何か関係はあるのか。(→ 丹波国桑田郡の倭彦王と「玖賀」)