『紀』景行紀3年2月条に、屋主忍男武雄心についての記述がみえます。
紀伊国に幸して、群の神祇を祭祀らむと卜ふるに、吉からず。乃ち車駕止みぬ。
屋主忍男武雄心命〈一に云はく、武猪心といふ。〉を遣して祭らしむ。
爰に屋主忍男武雄心命、詣して阿備の柏原に居て、神祇を祭祀る。
仍りて住むこと九年あり。
則ち紀直が遠祖菟道彦が女影媛を娶りて、武内宿禰を生ましむ。
屋主忍男武雄心は、神祇祭祀を行うため紀伊国に派遣され、9年滞在し、紀直の娘と結婚して武内宿禰を儲けたことが記されます。
いっぽう、『記』孝元系譜では、建内宿禰の父は、比古布都押之信(ヒコフツオシノマコト)となっています。
母は、「木国造祖宇豆比古妹山下影日売」と記され、若干の差違はあるものの、『紀』の「紀直遠祖菟道彦女影媛」と同一の属性を示しています。
『紀』孝元系譜では、彦太忍信(ヒコフツオシノマコト)は、武内宿禰の祖父とされます。
系図を示すと下記のとおりです。
『記』 比古布都押之信 ├─────建内宿禰 木国造祖宇豆比古妹山下影日売 『紀』 彦太忍信─────屋主忍男武雄心 ├─────武内宿禰 紀直遠祖菟道彦女影媛
『記』に、屋主忍雄武雄心の存在が消えていることがわかります。
屋主忍雄武雄心を、武内宿禰の父とする記述は、『住吉大社神代記』『紀氏家牒』にもみえ、『姓氏録』右京皇別上では、屋主忍雄武雄心は、紀朝臣の祖とされます。
次に、『記』に屋主忍雄武雄心が存在しない理由を探っていきます。
(→ 屋主忍雄建猪心と少名日子建猪心)
〈参考〉
『住吉大社神代記』
右、山河寄せ奉る本記には、昔、巻向玉木宮御宇天皇、癸酉年の春二月の庚寅に、大神の願いの随に、屋主忍男武雄心命〈一いは云はく、武猪心といふ。〉を遣使はして、寄せ奉りたまひき、といへり。爰に、武雄心命、此の山を以用いて幣とし、阿備柏原社に居りて斎祀りき。九年の内に、即ち難波道の龍住山の一つの岳を申し賜ひき。〈武猪心は、武内足尼が父なり。臣八腹等が祖なり。〉
『紀氏家牒』
家牒曰、紀武内宿祢者、人皇第八代孝元天皇曽孫、屋主忍男武雄心命之嫡男。母曰山下影媛、紀伊国造菟道彦之女。故名曰紀武内宿祢。