山城国の天背男後裔氏族

久我神社は、桂川の右岸、京都市伏見区久我森の宮町に鎮座し、『延喜式』神名帳の山城国乙訓郡には「久何神社」記されます。

『旧事紀』「天神本紀」及び「神代本紀」に、次のような記述がみえます。

天背男命 山背久我直等祖

天世手命 久我直等祖

「天神本紀」

天神立命 山代久我直等祖

「神代本紀」

久我神社は、天背男とか天世手とか天神立の後裔という、山背久我直と関わる神社と推測されます。

また、『姓氏録』山城国神別に、次のようにみえます。

今木連 神魂命の五世孫、阿麻乃西乎乃命の後なり

巨椋連 今木連同祖 止与波知命の後なり

今木連は、『万葉集』に「宇治若郎子宮所歌一首」として「妹らがり今木の嶺に茂り立つ妻松の木は古人見けむ」(巻9-1795)とある「今木の嶺」すなわち、山城国宇治郡の仏徳山(離宮山)の辺りを拠点とします。

巨椋連は、『万葉集』に「巨椋の入江響むなり射目人の伏見が田居に雁渡るらし」(巻9-1699)とある、巨椋池の東岸、山城国久世郡の巨椋神社の鎮座地の辺り(京都府宇治市小倉町)を拠点とします。

今木・巨椋は久我の近くなので、今木連・巨椋連は久我直の同族と考えられ、『姓氏録』の阿麻乃西乎乃命は天背男とみられます。

山城国に、乙訓郡の久我直、久世郡の巨椋連、宇治郡の今木連という天背男後裔氏族がいることがわかります。

◇『和名抄』に山城国乙訓郡石作郷、『延喜式』神名帳の山城国乙訓郡に石作神社がみえ、石作連の拠点とされる。比定地は、京都府京都市西京区大原野灰方町で、久我神社の西約6kmにあたる。尾張国中島郡・海部郡においても、天背男後裔氏族と石作連の拠点の重複がみられる。(→ 尾張国中島郡の天背男後裔氏族

◇ 『山城国風土記』逸文に、山城鴨氏の祖神である賀茂建角身命と「久我」との関係が記される。(→『山城国風土記』逸文の鴨氏の伝承と久我

◇ 『山城国風土記』逸文の鴨氏伝承と『紀』天香香背男伝承は、天背男を通して共通構造を持つ。(→ 角凝と天背男・久我

◇ 丹波国にも「玖賀(くが)」の地名がみられる。『記』に「旦波国の玖賀耳之御笠」、『紀』仁徳紀に「桑田玖賀媛」とある。丹波国桑田郡は、継体の前に即位要請され固辞した倭彦王の居住地である。(→ 丹波国桑田郡の倭彦王と「玖賀」

『旧事紀』「神代本紀」に、山代久我直等祖とみえる、天神立命は、タカミムスヒ裔であり、今木連・巨椋連は、カミムスヒ裔であるから、神系が異なる。いっぽう、『姓氏録』河内国神別の役直は、高御魂尊の孫、天神立命の後裔とあり、未定雑姓摂津国の葛城直も天神立命の後裔とあり、河内国神別の葛城直は、高魂命の五世孫、劔根命の後裔とある。タカミムスヒ神系の天神立命は、葛城との関わりが窺える。

『姓氏録』左京神別中にみえる宮部造は、天壁立命の子、天背男命の後裔とある。天壁立命は、天神立命と同神か。また、宮部造に氏名の類似する神宮部造が、山城国神別にみえるが、「葛木猪石岡」と関わりを持つ。(→ 久延毘古後裔氏族

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