『釈日本紀』巻9「頭八咫烏」条所引『山城国風土記』逸文に、次のようにみえます。
可茂の社
可茂と称ふは、日向の曽の峰に天降り坐しし神、賀茂の建の角身の命、
神倭石余比古の御前に立ち坐して、宿りて大倭の葛木の山の峰に坐しき。
彼より漸遷りたまひて、山代の国の岡田の賀茂に至りたまひ、
山代の河の随に下り坐して、葛野の河と賀茂の河との会へる所に至り坐し、
賀茂の川を見廻らして言りたまはく
「狭小くあれど、石川の清川にあり」とのりたまふ。
仍ち名けて石川の瀬見の小川と曰ふ。
彼の川ゆ上り坐して、久我の国の北の山基に定まり坐しき。
その時ゆ名けて賀茂と曰ふ。
山城鴨氏の祖神は、①「日向の曽の峰」、②「大倭の葛木の山の峰」、③「山代の国の岡田の賀茂」、④「葛野の河と賀茂の河との会へる所」、⑤「久我の国の北の山基」という経路を辿っています。
⑤「久我国の北の山基」(京都市北区紫竹下竹殿町)には、久我神社が鎮座し、賀茂建角身命を祭神として、山城国愛宕郡式内社、上賀茂神社第八摂社となっています。
④「葛野の河と賀茂の河との会へる所」とは、桂川(大堰川)の古名が葛野河であることから、山城国乙訓郡の久我(京都市伏見区)を示します。
賀茂建角身命は、乙訓郡「久我」を経由して愛宕郡「久我」へ到達しています。
『山城国風土記』逸文では、この記述の後に、賀茂建角身命の娘、玉依日売と乙訓社の火雷神が神婚し、可茂別雷命(上賀茂神社の祭神)が生まれたことが記されます。
(→ 鴨氏と乙訓の火雷神)
◇ 鴨氏伝承は、『紀』神代紀第9段の天香香背男伝承と共通構造を持つ。(→ 角凝と天背男・久我)
山代岡田賀茂は、木津川南岸、灯明寺山の北麓の地であり、岡田鴨神社が鎮座します。(京都府木津川市加茂町北鴨村)岡田鴨神社は、『延喜式』神名帳の山城国相楽郡にみえ、賀茂建角身命を祭神とします。