『記』『紀』の神武東征伝承において、神武が熊野で霊剣を得た後、八咫烏が天より遣わされ、大和国へ向けて山中の道案内を務めます。
『紀』神武紀2年2月条には、八咫烏の苗裔は、葛野主殿県主部と記されます。
ところが、『姓氏録』山城国神別では、鴨県主について、次のように記されます。
神日本磐余彦天皇〈諡は神武〉中洲に向さんとする時に、
山の中嶮絶しくして、跋み渉かむに路を失ふ。
是に、神魂命の孫、鴨建津之身命、大きなる烏と化如りて、
翔び飛り導奉りて、遂に中洲に達る。
天皇其の功有るを嘉したまひて、特に厚く褒め賞ふ。
天八咫烏の号は、此れ従り始りき。
さらに、『姓氏録』逸文によると、この下に、「因りて葛野県を賜りて居れり」と記されます。
鴨県主は、鴨(賀茂)神社の神官を務める氏族です。
なぜ、八咫烏の苗裔について、『紀』では、葛野主殿県主部、『姓氏録』では、鴨県主とあるのか。
佐伯有清氏は、『賀茂神官鴨氏系図』『河合神職鴨県主系図』に載る鴨県主氏の人物が主殿寮の殿部及び主水司の水部の負名氏となっていることを指摘されます。
主殿寮の殿部(とのもりべ)とは、天皇の輿輦(こしぐるま)・蓋笠(きぬがさ)・繖扇(さしば)・帷帳(几帳とかたびら)・湯沐(沐浴)・殿庭の洒掃(そうじ)・燈燭(油火・蝋火)・松柴(薪)・炭燎(庭火)などの職掌を分担しますが、『延喜式』神祇五斎宮、忌火庭火条などの記述から、鴨氏は、湯沐・燈燭・炭燎への関与が認められます。
また、主水司(もいとりのつかさ)の水部は、宮廷での飲水、氷室の氷の調達を職掌とするもので、かつて、鴨県主氏は、葛野に居住する県主として、当地の薪炭、氷室の氷を朝廷に献上していたと推測されます。
(佐伯有清『新撰姓氏録の研究 考証篇第3』1982年、419~426頁)
(佐伯有清「ヤタガラス伝説と鴨氏」(『新撰姓氏録の研究 研究篇』1963年))
八咫烏伝承にみえる、鴨氏の殿部・水部の属性は、山中の道や資源の在処の熟知という、山部の特性を示し、山部こそが、鴨氏の権力基盤の本質であったと思われます。
特に、主水司につながる飲料水確保の能力は、権力形成の基礎条件と考えます。
◇ 主水部の属性をもつ勢力として、『紀』神武東征伝承にみえる菟田主水部遠祖の猛田県主、『延喜式』主水司条にみえる牟義都首がいる。(→ 大和国宇陀郡と大伴連・倭直 )