葛木倭文坐天羽雷命神社

『延喜式』神名帳の大和国葛下郡の筆頭に、葛木倭文坐天羽雷命神社がみえます。

天羽雷(あめのはづち)命は、『紀』神代紀第9段本文の国譲り神話の異伝に、倭文神建葉槌(しどりがみたけはつち)とみえる、倭文連の奉祭神です。(→ 天香香背男をめぐる国譲り神話の異伝

『新抄格勅符抄』によると、大同元年(806)に神戸23戸を有する大社であり、『延喜式』玄蕃寮に、新羅客入朝の際、倭文社ほか8社に30束の醸酒料稲が充てられたことがみえます。

『大和志』は、奈良県葛城市加守に鎮座する、葛木倭文坐天羽雷命神社を式内社としますが、葛城市寺口の博西神社をあてる説もあります。

加守の葛木倭文坐天羽雷命神社は、天羽雷命を祭神とし、相殿に、摂社加守神社と二上神社を祀り、近世は五社明神を称しました。

加守神社は、掃守連の祖天忍人命を祭神とします。

加守は、掃守連の拠点とみられ、葛木倭文坐天羽雷命神社北西の長六角堂跡・塔跡を含む寺院遺構は正倉院文書にみえる掃守寺に比定されます。

二上神社は、大国魂命を祭神とし、二上山雄岳山頂の葛木二上神社(祭神は豊布都霊神・大国魂神)の遙拝所であったと伝え、神主の蟹守家には、神像1体と木製狛犬、二上神社古図などを蔵します。

(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):奈良県:北葛城郡>當麻町>加守村>葛木倭文坐天羽雷命神社、加守村>加守廃寺、當麻町>染野村>葛木二上神社)

加守の葛木倭文坐天羽雷命神社にみられる、倭文と掃守と大国魂の重層性に注目します。

淡路国三原郡でも同じ重層性がみられ、伊勢国多気郡では、倭文ではありませんが機織・掃守・大国魂の重層性が認められます。(→ 淡路国三原郡の大和大国魂神社)(→ 伊勢国多気郡麻続郷

いっぽう、葛城市寺口の博西神社は、もと倭文神社と称し、天羽雷命を祀っていましたが、大永年中(1521~28 )に、布勢行国が菅原道真を祀って2座とし、明治初年に祭神を天羽雷命から下照姫命としたと伝えられます。

口碑に、布勢氏が天羽雷命を奈良県葛城市太田の棚機の森から勧請したと伝わります。

(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):奈良県:北葛城郡>新庄町>寺口村>博西神社)

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