摂津国河辺郡の売布神社・高売布神社

『延喜式』神名帳の摂津国河辺郡に、売布(メフ)神社と高売布(タカメフ)神社がみえます。

売布神社は、武庫川左岸の兵庫県宝塚市売布山手町に、高売布神社は、武庫川支流の羽束川右岸、兵庫県三田市酒井に鎮座し、同じ水系に属することから、一対の関係にあると推測されます。

『三代実録』貞観5年8月8日戊辰条に、次のようにみえます。

摂津国河辺郡人散位正六位上若湯坐連宮足。

主殿允正六位上若湯坐連仁高等三人。

改本居隷右京職

若湯坐連が「天孫本紀」などにおいて、大咩布(大売布)命の後裔とされることから(→ 若湯坐連祖大売布)、2神は、摂津国川辺郡を本貫とする若湯坐連の奉祭神と考えられています。

(『日本歴史地名大系』(JapanKnowlegde):兵庫県:宝塚市>米谷村>売布神社、三田市>坂井村>高売布神社)

いっぽう、高売布神社の鎮座地は、大船山連峰と羽束山に囲まれた、中央を羽束川が南流する高平谷とよばれるところで、摂津国有馬郡羽束郷に属し、『延喜式』神名帳との齟齬が指摘されます。

川辺郡・有馬郡の郡域移動の可能性や、売布神社との一体性が理由として考えられますが、高平谷の東、猪名川最上流の六瀬谷が川辺郡楊津郷に属するにもかかわらず、『古事談』に「摂津国羽束之内六瀬云所」という記述がみえることから、川辺郡楊津郷に属する六瀬谷と有馬郡羽束郷に属する高平谷は、広く「羽束」とよばれていたと推測されています。

「羽束」は、『住吉大社神代記』に、河辺郡為奈山の四至として、「北を公田幷せて羽束国の堺を限る」とみえる「羽束国」を継承する地で、『紀』垂仁紀39年10月条一云に記される、「泊橿部(はつかしべ)」に関わるといわれます。

(『日本歴史地名大系』(JapanKnowlegde):兵庫県:摂津国>有馬郡>羽束郷)

「売布」と「羽束」は密接な関係にあることが窺えます。

◇ 山城国乙訓郡羽束郷は、羽束師坐高御産日神社の鎮座地であり、「天背男」に関わる「久我」の地の南に接する。売布神は、「天背男」と関わる可能性がある。『姓氏録』山城国神別に載る今木連氏に、天背男後裔と大売布後裔の2系があるのは、そのためか。(→ 山城国の天背男後裔氏族

◆ 大売布(オホメフ)について包括的に知りたい方は、「イキシニホをめぐる問題点」をご覧ください。

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