『記』『紀』垂仁段のホムツワケ伝承は、生駒山西麓の河内国高安郡・大県郡・若江郡を舞台とし、「玉作部」との関係が認められます。
① 『記』に、沙本毘売が玉の腕飾りに仕掛けし、謀反を起こした兄に殉じたことがみえます。
沙本毘売は、兄の沙本毘古王と共に火を放たれた砦に残り、中糸を腐らせた玉の腕飾りを付けて、后を救出しようと兵が掴むとちぎれるように仕掛けし、果たしてそのとおりのことが起こります。
そのことを知った垂仁天皇は、「玉作」を恨んで領地を奪ったと記されます。
② 沙本毘古王を「澤道彦(サワヂヒコ)」、沙本毘売を「佐波遅比売(サワヂヒメ)」と表記する例が『記』『姓氏録』にみえます。
サワヂは、「佐波」に通じます。
ホムツワケの養育に携わった鳥取連・三野県主の本拠地のある生駒山地西麓に、河内国高安郡の式内社の玉祖神社が鎮座します。(御野県主神社の東方2.9km)
玉祖神社(大阪府八尾市神立)は、周防国佐波郡の玉作連の祖を祀る玉祖神社を遷座したもので、遷座時に恩智神から高安郡の大部分を譲り受けたことが伝わります。(→ 玉祖神社と恩智神社)
③ ホムツワケの養育に尽力した鳥取連の本拠地に鎮座する天湯川田神社(大阪府柏原市高井田)境内の高井田廃寺から「玉作部飛鳥評」と篦書きした瓦が出土しています。