『尾張国風土記』逸文(前田家本『釈日本紀』巻10「誉津別命及壮而不言」条)に、丹羽郡吾縵郷の阿豆良神社についての記述がみえます。
当該伝承は、『記』『紀』垂仁段にみえる、火の中から助け出された垂仁天皇の皇子ホムツワケが言葉を取り戻す物語の異伝となっています。
日置部等祖建岡君は、ホムツワケが言葉を取り戻すことが出来るように、多具国の神の阿麻乃弥加都比女を祭るため、美濃国の花鹿山に行って賢木の枝で縵を造って投げ、落ちたところに社を造りました。
縵(かづら)に因んで「阿豆良(あづら)」と名付けられ、尾張国丹羽郡吾縵郷の阿豆良神社として今に至ります。

阿豆良神社(愛知県一宮市あずら)は、中島郡との郡境に近い丹羽郡の南端に鎮座し、至近に、五条川が青木川を分岐する下津があり、また、南南西3.5kmに尾張国府が所在します。(→ 海部郡・中島郡・愛智郡の交通)
いっぽう、美濃国の花鹿山は、『延喜式』神名帳の美濃国大野郡に、花長神社・花長下神社がみえ、花長上神社(岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲名礼)の鎮座する山を中山または花鹿山と称したといいます。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge )岐阜県:揖斐郡>谷汲村>名礼村>花長上神社)
また、岐阜県本巣市根尾能郷の能郷白山神社を式内社の花長神社とする説もあります。(旧社家溝尻家伝来の江戸時代の御札に「白山皇正一位花長神社」と記す)(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge )岐阜県:本巣郡>根尾村>能郷村>白山神社)
当該伝承は、尾張国丹羽郡・美濃国大野郡を舞台とし、河内国大県郡・高安郡を語る、『記』『紀』と大きく異なります。
いっぽう、双方とも、出雲がホムツワケが言葉を取り戻す鍵となっている点は一致します。
丹羽郡吾縵郷に祭られた「多具国の神の阿麻乃弥加都比女(あめのみかつひめ)」は、『出雲国風土記』秋鹿郡伊農郷条の「天𤭖津日女(あめのみかつひめ)」、楯縫郡神名樋山条の「天御梶日女(あめのみかぢひめ)」を示します。(→ 『出雲国風土記』の天𤭖津日女・天御梶日女)
『記』『紀』では、出雲の鵠と遊んだり、出雲大神を詣でることでホムツワケは言葉を取り戻します。
では、なぜ、尾張国にホムツワケ伝承の異伝が存在するのか。
『記』に、火の中から助け出されたホムツワケを遊ばせる記述がみえます。
故、其の御子を率て遊びし状は、
尾張の相津に在る二俣榲を、二俣小舟に作りて、持ち上り来て、
倭の市師池・軽池に浮けて、其の御子を率て遊びき。
尾張の相津の二俣榲で造った二俣小舟をわざわざ取り寄せて遊ばせていることが注目されます。
ホムツワケは、本質的なところで尾張国と関係をもつのではないかと思われます。(→ ホムツワケ伝承と製鉄)