許波多神社は、京都府宇治市五ヶ庄古川と木幡東中の2カ所に鎮座し、『延喜式』神名帳では、山城国宇治郡の名神大社となっています。
所在地から、応神妃の和珥臣祖日触使主女宮主宅媛を輩出した一族の奉祭神と思われます。(→ 和珥臣祖日触使主女宮主宅媛と応神の結婚)
『釈日本紀』所引『山城国風土記』逸文に、「宇治郡。木幡社。祇社。名天忍穂長根命」と記されます。
「天忍穂長根命」は、『紀』神代紀第6段一書第1・第2に「正哉吾勝勝速日天忍骨尊」、第7段一書第3に「正哉吾勝勝速日天忍穂根尊、第9段一書第6に「天忍穂根尊」、第9段一書第7に「天忍骨命」と記される、皇祖神のオシホミミと酷似することが注目されています。
『山城国風土記』逸文に、木幡社は「祇社」とされ、木幡にオシホミミが祭祀される理由が見当たらないことから、一般的に2神は別神とみられています。
しかし、許波多神社を祭祀していたとみられる応神妃和珥臣祖日触使主女宮主宅媛を輩出した一族は、出雲討伐に関与し、いっぽうで、オシホミミが、ウケヒ神話において、出雲臣と兄弟関係にあり、許波多神社とオシホミミに「出雲」という接点が認められます。(→ 『記』『紀』出雲討伐伝承)(→ 矢田皇女と矢田部)
また、木幡の北に接する、石田の地に、『万葉集』に「山背の石田(いわた)の社(もり)」と詠まれた、山城国宇治郡の式内社で、出雲の祖神を祭神とする天穂日命神社が鎮座します。