美濃国造の本拠地

『記』開化系譜に、日子坐王と近淡海御上祝が以ちいつく天之御影神女息長水依比売の子として、神大根王(亦の名は八爪入日子王)がみえ、三野国本巣国造・長幡部連の祖と記されます。

また、『記』景行記に、三野国造祖、大根王の娘、兄比売・弟比売、『紀』景行紀4年2月条是月条に、美濃国造、神骨の娘、兄遠子・弟遠子がみえます。

また、「国造本紀」に、「三野前国造 春日率川朝 皇子彦坐王子八爪命定賜国造」とあります。

「神大根王」「神骨」、「八爪入日子王」「八爪命」は、同一人物で、「美濃(三野)国造」は、「三野国本巣国造」「三野前国造」ともいわれることがわかります。

本拠地は、「三野国本巣国造」といわれることからすると、本巣郡とみられ、本巣郡の中心地域とみられる、古代東山道の通る、真桑・軽海・宗慶地区、『和名抄』の美濃郷に比定される見延地区などが候補にあがるかと思われます。

いっぽう、美濃国の政治的中心地域として、国府の所在する、不破郡があげられます。

国府の南1.9kmに、美濃国唯一の名神大社である、南宮神社(『延喜式』では、仲山金山彦神社)、国府の東北東2.6kmに、美濃国分寺、さらに、その東方1.9kmに、県下最大の前方後円墳、昼飯大塚古墳(全長140m)があります。

また、周辺に、『記』『紀』にみえる、天稚彦の「喪山」、『常陸国風土記』にみえる、長幡部の「三野国引津根丘」の伝承地があります。(→ 大碓命後裔氏族の牟義公・守君

『常陸国風土記』に、長幡部の祖が「三野国引津根丘」から常陸国に来たことが記され、『記』開化系譜に、長幡部連と三野本巣国造は同祖関係にあることから、「引津根丘」は、「三野本巣国造」に関わる土地なのではないかと思われます。(→『常陸国風土記』の長幡部伝承

8世紀以降の不破郡郡領氏族は、百済系の宮勝氏ですが、宮勝氏を受け入れた、旧来の在地勢力が美濃国造である可能性もあります。(→ 美濃国不破郡の古墳分布

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