筑前国・安房国・伊勢国の平群

『和名抄』に、「平群」の名称をもつ郡郷として、大和国平群郡平群郷、日向国児湯郡平群郷、筑前国早良郡平群郷、安房国平群郡がみえ、平群臣の拠点と推測されます。(→ 大和国平群郡平群郷)(→ 日向国児湯郡平群郷

筑前国早良郡平群郷は、福岡県福岡市西区飯盛・羽根戸・戸切付近に比定され、「平群」の地名は、中世の戸栗(へぐり)、近世から現代の戸切(とぎり)(現在はトギレ)に継承されています。(『日本歴史地名大系(JapanKnowledge)』福岡県:筑前国>早良郡>平群郷)

相良平野西部、飯盛山東麓の室見川左岸にあたり、近隣に、弥生時代の埋葬遺構を主体とする、吉武高木遺跡があり、南西の日向峠を越えると、「伊都国」と関連する、三雲・井原遺跡群、曽根遺跡群などの所在する、糸島平野に至ります。

『姓氏録』河内国皇別にみえる早良臣(平群朝臣同祖 平群都久宿禰後裔)の関係勢力の拠点と推測されます。

隣接して額田郷が所在し(福岡市西区野方)、大和国平群郡と同様、平群臣と額田部連の連携が認められます。

(『日本歴史地名大系(JapanKnowledge)』福岡県:筑前国>早良郡>額田郷)

安房国平群郡は、千葉県安房郡鋸南町・南房総市の旧富山町・旧富浦町・旧三芳村と館山市の一部にあたり、郡内に安房国府が置かれ(南房総市府中に比定)、安房国の政治的中心地でした。

「平群」の地名は、平久里(へぐり)川に残り、河口の館山市湊は、『紀』景行紀53年10月条にみえる、膳臣遠祖磐鹿六鴈が白蛤を膾にして献上し、膳大伴部を賜ったという「淡水門」の有力な候補地となっており、平群臣と膳臣の重複がみられます。

また、『延喜式』神名帳の伊勢国員弁郡に平群神社がみえます。

平群神社は、東流する員弁川と朝明川の間の志知の丘陵地の東麓、三重県桑名市志知に鎮座します。

員弁郡の東南端、朝明郡との郡境近くにあたり、朝明郡衙に比定される久留倍遺跡(四日市市大矢知町)まで4.5kmの距離にあり、『紀』雄略紀18年8月条にみえる、雄略に討伐された、伊勢の朝日郎(あさけのいらつこ)の拠点域に属します。

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