日向国児湯郡平群郷

『和名抄』にみえる、日向国児湯郡平群郷は、宮崎県西都市平郡(へごおり)周辺に比定され、「平群」の地名から、平群臣との関連が推測されます。

児湯郡は、国府・国分寺が営まれた日向国の中心地域であり、西都原古墳群が所在します。

西都原古墳群のある台地と一ツ瀬川の氾濫原との間の、中間台地上に、国府が営まれ、平群郷は、その南西4kmにあたります。

『紀』景行紀13年5月条に、高屋宮(西都市岩爪の黒貫寺に伝承あり)に滞在していた、景行天皇と、当地の御刀媛との間に、豊国別皇子が生まれ、日向国造の始祖であると記されます。

また、『紀』景行紀17年3月条に、景行天皇が子湯県の丹裳小野に遊んだ時の歌に「平群」の地名がみえます。

愛しきよし 我家の方ゆ 雲居立ち来も

倭は 国のまほらま 畳づく 青垣 山籠れる 倭し麗し

命の 全けむ人は 畳薦 平群の山の 白橿が枝を 髻華に挿せ 此の子

平群郷は、一ツ瀬川支流三財川の水系の地ですが、南南西7.8kmの籾木池付近において、一ツ瀬川支流三財川水系と大淀川支流深年川水系が、接近していることが注目されます。

大淀川支流深年川水系は、日向諸県君の拠点地域です。(→ 日向諸県君

平群臣は、児湯郡の国衙地域を拠点とする勢力(日向国造か)と諸県郡の日向諸県君の両者と連携できる土地を拠点としていたことがわかります。

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