「国造本紀」の伊吉嶋造

「国造本紀」に、伊吉嶋造について、継体朝の磐井の乱に関与したという記述がみえます。

伊吉嶋造

磐余玉穂朝に、石井の従者新羅海辺の人を伐ちし、

天津水凝の後の上毛布直の造なり。

伊吉(壱伎・壱岐)嶋造は、継体朝に、石井(磐井)と結びついた新羅人を討った、天津水凝後裔の上毛布直造であると解されますが、「天津水凝」「上毛布直造」は他にみえず実態は不明です。

「上毛」は「かみつみけ」の意で、『筑紫風土記』逸文にみえる、筑紫君磐井が豊前国上膳(かみつみけ)県に遁れたという記述と関わりがあるのではないかという指摘があります。(山尾幸久『筑紫君磐井の戦争』1999年、46-48頁)

伊吉嶋造は、壱岐島を本拠地とし、葛野の月神祭祀に関与した、壱伎直と実態は同じと思われます。(→ 壱伎直・壱伎県主・壱岐島造

『紀』応神紀9年4月条の武内宿禰と甘美内宿禰の抗争の記述に、壱伎直真根子が武内宿禰の身代わりとなったことがみえますが、構成要素の共通性からみて磐井の乱の話ではないかと思われます。(→ 武内宿禰と甘美内宿禰の対立伝承と磐井の乱

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