葛城・綴喜・越と「少名日子」

『記』孝元系譜に、建内宿禰と味師内宿禰の父は、比古布都押之信(ひこふつおしのまこと)とされます。

建内宿禰は大和葛城の勢力、味師内宿禰は山城綴喜の勢力を象徴し、その父である比古布都押之信は、葛城と綴喜を包括する存在といえます。(→ 味師内宿禰と山城国綴喜郡有智郷

いっぽう、『紀』は、比古布都押之信を武内宿禰(建内宿禰)の祖父とし、屋主忍男武雄心を父とします。

『記』『紀』のあいだの違い、とりわけ『記』に「屋主忍男武雄心」がみえないことが注目されます。

「屋主忍男武雄心」は「武猪心」とも称しますが、『記』では、大彦系譜に「少名日子建猪心」と名が酷似する人物がみえます。

また、『紀』では「少名日子建猪心」を示すと思われる人物が「少彦男心」とみえます。

「屋主忍男武雄心」「武猪心」「少名日子建猪心」「少彦男心」は、同一人物であり、武内系譜と大彦系譜の双方から始祖と認識されていたのではないかと思われます。(→ 屋主忍男武雄心と少名日子建猪心

孝元系譜編集時に、当該人物を、『紀』は武内系譜へ、『記』は大彦系譜への組み込み、表立った矛盾がみえないよう調整を図り、屋主忍男武雄心を抽象化した人物として比古布都押之信を設置したものと推測します。

『姓氏録』などにみえる、越国造、道公の祖、「屋主男心」「彦屋主田心」も、同一人物と思われます。(→ 彦屋主田心と道君

葛城・綴喜・越の勢力を包括する有力な始祖的人物像が浮かび上がり、「少名日子」「少彦」(すくなびこ)を冠していることが注目されます。

『記』『紀』にみえる「少彦名」は、この人物と関わるのではないかと思われます。

◇「屋主忍男武雄心」によって統括された3地域勢力の組織は、建内宿禰と味師内宿禰の抗争により崩壊する。『紀』応神紀9年4月条にみえる記述は、構成要素の共通性から、6世紀の磐井の乱の描写と思われる。(→ 武内宿禰と甘美内宿禰の対立伝承と磐井の乱

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