『記』『紀』神代段の天石屋神話に、鏡作の祖、石凝姥と天糠戸がみえます。
『紀』神代紀第7段一書第2に、鏡作部遠祖天糠戸に造らせた鏡、第7段一書第3に、鏡作遠祖天抜戸の児の石凝戸辺に造らせた鏡がみえ、前者は、天の石屋に隠れた日神を誘い出す役割を果たします。
『記』にも、伊斯許理度売(石凝姥)に造らせた鏡を天の香山の五百津真賢木に付け、天照大神を誘い出したことがみえます。
また、当該の鏡について、『記』天孫降臨段に、「この鏡を我が御魂として祭れ」と、天照大神が邇々芸(ににぎ)に授け、伊勢神宮内宮に祭祀されたことが記され、『紀』第7段一書第2にも同様に、「此即ち伊勢に崇秘る大神なり」とみえます。(→ 『記』伊勢神宮内宮起源伝承)
『紀』第9段一書第1には、石凝姥が天児屋根・太玉・天鈿女・玉屋ともに、葦原中国へ降る瓊瓊杵(ににぎ)の5部神としてみえます。
これらの記述によれば、鏡作の祖の天糠戸(天抜戸)・石凝姥の親子が造った鏡は、天照大神を天の石屋から誘い出すのに使われ、その後、伊勢神宮内宮に祭られたことがわかります。
ところが、『紀』神代紀第7段一書第1に、次のように記されます。
時に高皇産霊の息、思兼神といふ者有り。思慮の智有り。
乃ち思ひて白して曰さく、「彼の神の象を図し造りて、招禱き奉らむ」とまうす。
故、即ち石凝姥を以て、冶工として、天香山の金を採りて、日矛を作らしむ。
又真名鹿の皮を全剥ぎて、天羽鞴に作る。
此を用て造り奉る神は、是即ち紀伊国に所坐す日前神なり。
思兼神が「彼の神の象を図し造りて、招禱き奉らむ」と言っているように、この話は天石屋神話の異伝ですが、石凝姥は、冶工として天香山の金を採って「日矛」を造っています。
また、結びは「此を用て造り奉る神は、是即ち紀伊国に所坐す日前神なり」とあります。
「紀伊国に所坐す日前神」は、『延喜式』神名帳にみえる、紀伊国名草郡の名神大社、日前神社を示します。
和歌山県和歌山市秋月に、日前神宮・国懸神宮が南面し並んで鎮座し、前者は、日前大神を主神とし、相殿に、思兼命・石凝姥命を祀り、後者は、国懸大神を主神とし、相殿に、玉祖命・明立天御影命・鈿女命を祀ります。
祭祀権は、紀直が代々継承してきました。
国懸神について、『紀』天武紀朱鳥元年(686)7月癸卯条に、天武天皇の病平癒のため、「幣を紀伊国に居す国懸神・飛鳥の四社・住吉大神に奉りたまふ」とみえますが、神の性格や日前神との関係は詳らかでありません。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):和歌山県:和歌山市>河南地区>秋月村>日前国懸神宮)
「此を用て造り奉る神」は、石凝姥の造った日矛なのか、真名鹿の皮の鞴を使って造った他の何かなのか、曖昧さを残して記していますが、当該伝承の主張は、日前神について、石凝姥が造った鏡すなわち伊勢神宮内宮神と同一神とする点にあることは明らかです。
鏡作と紀直、伊勢内宮神と日前神の深い関係が窺われます。(→ 天照御魂神)