『記』『紀』神代段に、アマテラスとスサノヲによるウケヒの話がみえます。
スサノヲは、イザナキに命じられた国を治めることが出来ず、根の国へ退去することになりましたが、その前に、高天原のアマテラスのもとを訪れ、この先反抗する意志のないことを証明するため、ウケヒが行われます。
ウケヒは占いの一種で、アマテラスとスサノヲそれぞれが玉や剣から子神を造り、子神の性別からスサノヲの服従心が本物かどうかを判断します。
ウケヒの話は、『記』『紀』に6種類みえ、『紀』神代紀第6段一書第1、一書第3、『紀』神代紀第7段一書第3は、自分の持ち物で子神を造り、『紀』神代紀第6段本文、一書第2、『記』は、相手の持ち物で子神を造るという大きな違いが認められます。
前3者は、アマテラスを「日神」と記し、後3者は、「天照大神」と記すことから、それぞれ「日神系」「アマテラス系」とよばれます。
ウケヒ神話の理解に際し、最初に切り分ける問題は、「アマテラス系」の論理構造においてウケヒが判定不能であることです。
それは、どういうことなのか。
「アマテラス系」は、アマテラスとスサノヲが玉や剣を交換して、つまり相手の持ち物で子神を造るため、「造った人」「持ち主」どちらともが「親」と言えます。
さらに、子を造った後、帰属を改めて定めており、そこでもまた、「造った人」「帰属先」のどちらともが「親」と言えます。
出来上がった子神の「親」が二重に両義的であるため、「私がどの子神の親なのか」という前提が絶えずぐらつき、判定も定まりません。
実際に、「アマテラス系」の判定結果は、3話のうち2話に記載がなく、残りの1話は、スサノヲの発言として記され、スサノヲが勝手に言っているだけではないかと解釈されています。
神話の研究では、多くの研究者が「日神系」を古型とみておられます。
「アマテラス系」は、「日神系」に、アマテラスとスサノヲが玉や剣を交換して子神を造るという論理を取り入れて改変したものと思われます。
改変の目的は、政治的意図によるものではなく、論理の妙味を楽しむ「趣向」ではないかと想像します。
ウケヒ神話の理解は、「日神系」のみを対象とすべきと考えます。
「日神系」では、前提となる子神の「親」がはっきりしているため判定も明確で、スサノヲの服従心は本物と証明されますが、注目されるのは子神の帰属先です。
『紀』神代紀第6段一書第3・第7段一書第3に、「スサノヲの子神は、日神の子となった」とみえます。(第6段一書第1は記載なし)
スサノヲの子神とは、オシホミミ、出雲臣等の祖天穂日、額田部連等の祖天津彦根の他、合計5人を指します。(第7段一書第3は6人)
また、『紀』神代紀第6段一書第1に「日神の子神の3女神は、筑紫洲に降下させた」、第6段一書第3に「日神の子神の3女神は、葦原中国の宇佐嶋に降下させた」とあります。(第7段一書第3は「云々」と略)
「日神は、自分の子の3女神を九州に降下させ、スサノヲの子の5男神を自分の子とした」、これがウケヒ神話の本質的要素とみられます。
山尾幸久氏は、スサノヲに反逆の心なく忠誠であることを証明するならば、スサノヲだけがウケヒを実習すれば済むのに、アマテラスも一緒にウケヒしているのは、ウケヒ神話の主眼が御子神にあることを示しているといわれます。(山尾幸久『日本古代国家と土地所有』2003年、540~541頁)
ウケヒ神話の御子神にかんして、『記』『紀』応神誕生伝承にみえる住吉大神による天津彦根掌握の構図、及び『紀』履中紀5年3月条・9月条・10月条の3女神の話を含む一連の住吉津をめぐる争乱の構図との相関性が認められます。