『紀』5世紀前半の信憑性– category –
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筑紫之米多君
『記』若野毛二俣王系譜にみえる、大郎子(意富々等王)は、三国君・波多君・息長坂君・酒人君・山道君・筑紫之米多君・布勢君等の祖と記されます。 大郎子(意富々等王)は、継体天皇の高祖父にあたります。 7氏のうち、三国君・波多君・息長坂君・酒人... -
『記』若野毛二俣王系譜
『記』応神記に、若野毛二俣王の系譜がみえます。 冒頭の后妃子女の系譜とは別に、応神記の最後に記され、異例の形式となっています。 系図にすると、次のとおりです。 応神 ├────若野毛二俣王 ┌─大郎子(意... -
『紀』允恭紀の明石の真珠伝承
『紀』允恭紀14年9月条に、明石の真珠の話がみえます。 天皇が淡路島で狩りをしたところ、獲物は沢山いるのに不猟で、占うと島の神は「明石の海の底にある真珠を我に祀れ」と言いました。 阿波国長邑の男狭磯という海人が海の底に光る大鰒を引き上げて息絶... -
近江国坂田郡の允恭后妃
『記』『紀』に、近江国坂田郡出身の允恭天皇の后妃が2人みえます。 后について、『記』に「意富本杼王の妹、忍坂之大中津比売命」と記されます。 忍坂之大中津比売は、『記』応神段の若野毛二俣王系譜にもみえ、『上宮記』逸文系譜に「践坂大中比弥王」と... -
近江国坂田郡の朝妻湊
『和名抄』近江国坂田郡朝妻郷は、琵琶湖水運の要衝、朝妻湊を中心とする地域に比定されます。 滋賀県米原市柏原地区の菖蒲ヶ池を水源とする天野川は、奥出川・中井川・砂走川を集めて北流し、長岡地区で、伊吹山地からの政所川・弥高川と合流した後南流、... -
『記』『紀』允恭段への疑義
允恭は、倭の五王の「済」に比定され、在位年代は、441、442年〜461年と推測されます。 しかし、『記』『紀』の允恭段の記述には複数の疑点がみられます。 西郷信綱氏は、 允恭の和風諡号(『記』男浅津間若子宿禰命『紀』雄朝津間稚子宿禰命)は、葛城の... -
雄朝津間稚子宿禰
允恭天皇の和風諡号は、『記』に「男浅津間若子宿禰」、『紀』に「雄朝津間稚子宿禰」と記され、大和国葛上郡の地名「朝妻(あさつま)」との関係が示されます。 「朝妻」は、奈良県御所市朝妻を遺称地とし、『紀』天武紀9年9月条に「朝嬬に幸す。因りて大... -
隼別皇子と雌鳥皇女の逃避行
『紀』仁徳紀40年2月条に、雌鳥皇女と隼別皇子の話がみえます。 仁徳天皇は、妃にするために雌鳥皇女の家を訪ねると、機織りの女が次のような歌を詠み、雌鳥皇女は隼別皇子と親密な関係になっていたことを知ります。 ひさかたの 天金機 雌鳥が 織る金機... -
大山守・額田大中彦と山守・出雲
『紀』仁徳即位前紀に、倭屯田の屯田司を出雲臣祖淤宇宿禰が務めることに対して、額田大中彦皇子が抗議する話がみえ、理由を次のように述べています。 是の屯田は、本より山守の地なり。 是を以て、今吾、将に治らむとす。爾は掌るべからず。 倭屯田は「山... -
菟道稚郎子・大山守・大鷦鷯
『記』に、次のような応神天皇の発言がみえます。 大山守命は、山海の政を為よ、 大雀命は、食国の政を執りて白し賜へ、 宇遅能和紀郎子は、天津日継を知らせ。 宇遅能和紀郎子を後継の王とし、大山守は「山海の政」、大雀は「食国の政」を執るよう命令し...
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