応神・仁徳朝伝承– category –
『記』『紀』応神段・仁徳段の伝承について、6世紀第2四半期の動向との相関性を探ります。
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衣通郎姫の伝承
『紀』允恭紀に、允恭天皇の妃の衣通郎姫の話がみえます。 允恭天皇の后の忍坂大中姫の妹であった弟姫は、衣のうちから光り輝くような美しさから衣通郎姫とよばれていました。 天皇はかねてより執心していた衣通郎姫を後宮に呼び寄せようと、后の了解を取... -
近江国坂田郡の朝妻湊
『和名抄』近江国坂田郡朝妻郷は、琵琶湖水運の要衝、朝妻湊を中心とする地域に比定されます。 滋賀県米原市柏原地区の菖蒲ヶ池を水源とする天野川は、奥出川・中井川・砂走川を集めて北流し、長岡地区で、伊吹山地からの政所川・弥高川と合流した後南流、... -
『記』『紀』允恭段への疑義
允恭は、倭の五王の「済」に比定され、在位年代は、441、442年〜461年と推測されます。 しかし、『記』『紀』の允恭段の記述には複数の疑点がみられます。 西郷信綱氏は、 允恭の和風諡号(『記』男浅津間若子宿禰命『紀』雄朝津間稚子宿禰命)は、葛城の... -
隼別皇子と雌鳥皇女の逃避行
『紀』仁徳紀40年2月条に、雌鳥皇女と隼別皇子の話がみえます。 仁徳天皇は、妃にするために雌鳥皇女の家を訪ねると、機織りの女が次のような歌を詠み、雌鳥皇女は隼別皇子と親密な関係になっていたことを知ります。 ひさかたの 天金機 雌鳥が 織る金機... -
大山守・額田大中彦と山守・出雲
『紀』仁徳即位前紀に、倭屯田の屯田司を出雲臣祖淤宇宿禰が務めることに対して、額田大中彦皇子が抗議する話がみえ、理由を次のように述べています。 是の屯田は、本より山守の地なり。 是を以て、今吾、将に治らむとす。爾は掌るべからず。 倭屯田は「山... -
菟道稚郎子・大山守・大鷦鷯
『記』に、次のような応神天皇の発言がみえます。 大山守命は、山海の政を為よ、 大雀命は、食国の政を執りて白し賜へ、 宇遅能和紀郎子は、天津日継を知らせ。 宇遅能和紀郎子を後継の王とし、大山守は「山海の政」、大雀は「食国の政」を執るよう命令し... -
矢田皇女と矢田部
応神天皇は、木幡で出会った和珥臣祖日触使主女宮主宅媛とのあいだに、菟道稚郎子・矢田皇女・雌鳥皇女という3人の子をもうけました。 菟道稚郎子は大鷦鷯皇子(仁徳)と王位を譲り合ううちに亡くなり、雌鳥皇女は大鷦鷯皇子から求婚されますが隼別皇子と... -
宮主矢河枝比売と木幡・岡屋津
『記』に、応神天皇と宮主矢河枝比売の話がみえます。 応神天皇は、宇遅野から葛野を見て、次のような歌を詠みます。 千葉の 葛野を見れば 百千足る 家庭も見ゆ 国の秀も見ゆ 木幡村まで来た時、「丸邇の比布礼能意富美が女、名は、宮主矢河枝比売」と...
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