平群臣・紀臣・坂本臣– category –
5世紀後半、物部連・大伴連など新興の大王側近勢力の隆盛と相対して勢力低下した、平群臣・紀臣・坂本臣の動向と属性を探ります。
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日向国児湯郡平群郷
『和名抄』にみえる、日向国児湯郡平群郷は、宮崎県西都市平郡(へごおり)周辺に比定され、「平群」の地名から、平群臣との関連が推測されます。 児湯郡は、国府・国分寺が営まれた日向国の中心地域であり、西都原古墳群が所在します。 西都原古墳群のあ... -
平群木菟宿禰・葛城襲津彦と弓月君伝承
『紀』応神紀14年是歳条と16年8月条に、弓月君の渡来伝承がみえます。 百済から倭国に向かった弓月君が、新羅人の妨害にあって加羅に留め置かれたので、葛城襲津彦が派遣されましたが、3年たっても帰還しませんでした。 平群木菟宿禰・的戸田宿禰の率いる... -
土佐国土佐郡の葛木男神社・葛木咩神社
『延喜式』神名帳の土佐国土佐郡に、葛木男神社・葛木咩神社がみえます。 葛木男神社は、高知県高知市の国分川右岸、布師田山の北東麓の西谷に鎮座し、葛木咩神社は、国分川対岸の字下附に鎮座していましたが、1972年に葛木男神社に合祀されました。 当初... -
平群臣と角鹿の塩
『紀』武烈即位前紀に、平群真鳥の最期について次のように記されます。 真鳥大臣、事の済らざらむことを恨みて、 身の免れ難きことを知りぬ。 計窮り望絶えぬ。 広く塩を指して詛ふ。遂に殺戮されぬ。 其の子弟さへに及る。 詛ふ時に唯角鹿の塩のみ忘れて... -
坂本臣祖根使主討伐と難波吉士の賜姓
『紀』安康紀と雄略紀に、根使主をめぐる事件がみえます。 『紀』安康紀元年2月条によると、安康天皇が弟の大泊瀬皇子(雄略)と草香幡梭姫皇女との結婚の承諾を求めて、草香幡梭姫皇女の兄、大草香皇子のもとへ使者として、坂本臣の祖、根使主を送りまし... -
坂合黒彦皇子・八釣白彦皇子
坂合黒彦皇子と八釣白彦皇子は、雄略即位前の内乱で殺されました。(→ 眉輪王と葛城円大臣討伐) 『紀』によると、坂合黒彦皇子と坂合部連贄宿禰の遺骸は、「新漢(いまきのあや)のツキ本の南の丘」に埋葬されたとあり、坂合黒彦皇子墓について、『大和志... -
紀大磐宿禰と紀臣の分裂
『紀』雄略紀9年3月条に、海外派兵の記述がみえます。 紀小弓宿禰・蘇我韓子宿禰・大伴談連・小鹿火宿禰ら、4人の将軍が派遣されますが、大伴談連が戦死し、大将軍、紀小弓宿禰も戦病死します。 ところが、その後、『紀』雄略9年5月条によると、紀小弓宿禰... -
尾張国海部郡の伊久波神社
愛知県稲沢市平和町下三宅郷内に鎮座する伊久波神社は、祭神を的臣祖とする、尾張国海部郡の式内社です。 『張州府志』(宝暦2年(1752)成立の尾張藩撰の地誌)に「生桑天神祠」とみえ、次のように記されます。 在三宅村、今称生桑神明、按延喜神名式曰、... -
雄略朝の歯田根討伐と餌香
『紀』雄略紀13年3月条に、歯田根討伐の記述がみえます。 狭穂彦が玄孫歯田根命、窃に采女山辺小嶋子を姧せり。 天皇、聞しめして、歯田根命を以て、物部目大連に収付けて、責譲はしめたまふ。 歯田根命、馬八匹・大刀八口を以て、罪過を祓除ふ。 既にして... -
大和国平群郡平群郷
『和名抄』にみえる大和国平群郡平群郷は、生駒山地主部と矢田丘陵のあいだを竜田川が南流する平群谷に比定され、5世紀代の雄族、平群臣の本拠地として知られます。 平群谷の竜田川東岸、奈良県生駒郡平群町上庄に、平群坐紀氏神社が鎮座します。 平群坐紀...
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