ホムツワケ– category –
垂仁朝のホムツワケ伝承について
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倭日向武日向八綱田
『紀』垂仁紀5年10月条に、上毛野君遠祖八綱田が狭穂彦の謀反を鎮圧して「倭日向武日向八綱田」の称号を贈られたことがみえます。 倭日向武日向八綱田は、『姓氏録』に豊城入彦の子と記され、後裔氏族として和泉国皇別の登美首、軽部、未定雑姓摂津国の我... -
ホムツワケ伝承と鳥取連
『記』『紀』垂仁段に、狭穂彦の謀反と誉津別の再生の話がみえます。 垂仁天皇は、狭穂彦の妹の狭穂媛を后とし、誉津別(ホムツワケ)という子をもうけますが、狭穂彦が謀反を起こすと、狭穂媛は兄とともに火を放たれた砦に残り死んでしまいます。(『記』... -
ホムツワケ伝承と出雲
『記』『紀』垂仁段に、言葉を失ったホムツワケの再生の話がみえます。 『記』『紀』で話の構成に違いがありますが、出雲の力によって解決に至る点は共通します。 『記』は、言葉を失ったのは出雲大神の祟りのためと占いの結果が出て、曙立王・菟上王と一... -
曙立王・菟上王と出雲
『記』垂仁記に、曙立王・菟上王がホムチワケを連れて出雲に行く話がみえます。 曙立王・菟上王は、『記』開化系譜に、日子坐王と山代之荏名津比売(亦の名刈幡戸弁)の子、大俣王の子としてみえ、曙立王は、伊勢品遅部君・伊勢佐那造の祖、菟上王は、比売... -
狭穂彦後裔氏族
『記』『紀』垂仁段に、狭穂彦の謀反と誉津別の再生の話がみえます。 垂仁天皇は、狭穂彦の妹の狭穂媛を后として、誉津別(ホムツワケ)という子をもうけますが、狭穂彦が謀反を起こすと、狭穂媛は兄とともに火を放たれた砦に残り死んでしまいます。 火の... -
鳥取連と河内国大県郡
『記』『紀』垂仁段に、火を放たれた砦から助け出されたホムツワケが天湯河板挙を中心とする群臣の尽力によって言葉を取り戻す物語がみえます。 『姓氏録』に、天湯河板挙の後裔氏族が5氏みえます。 右京神別上鳥取連角凝魂命三世孫天湯河桁命之後也山城国... -
三野県主小根
『紀』清寧即位前紀に、河内三野県主小根の話がみえます。 雄略の没後、吉備稚媛の子である星川皇子が王位簒奪の反乱を起こして失敗し燔殺され、星川皇子に仕えていた三野県主小根は、草香部吉士漢彦の足に抱きついて命乞いし、大伴室屋大連に難波来目邑大... -
五十瓊敷入彦と茅渟菟砥川上宮
『記』『紀』に、五十瓊敷入彦による造池と作刀の記述がみえます。 五十瓊敷命を河内国に遣して、高石池・茅渟池を作らしむ。 『紀』垂仁紀35年9月条 五十瓊敷命、茅渟の菟砥川上宮に居しまして、剣一千口を作る。 因りて其の剣を名けて、川上部と謂ふ。 ... -
ホムツワケ伝承と製鉄
『記』『紀』垂仁段にみえるホムツワケ伝承について次のような点に注目します。 ① 『紀』崇神紀60年7月条の出雲振根討伐との連続性 ホムツワケ伝承は『記』と『紀』で構成が異なりますが、出雲の仏経山北麓がホムツワケの言葉を取り戻す契機となる点は共... -
『尾張国風土記』逸文のホムツワケ伝承
『尾張国風土記』逸文(前田家本『釈日本紀』巻10「誉津別命及壮而不言」条)に、丹羽郡吾縵郷の阿豆良神社についての記述がみえます。 当該伝承は、『記』『紀』垂仁段にみえる、火の中から助け出された垂仁天皇の皇子ホムツワケが言葉を取り戻す物語の異...
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