ホムツワケ– category –
垂仁朝のホムツワケ伝承について
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ホムツワケ・アジスキタカヒコネ・スサノヲ
ホムツワケ、アジスキタカヒコネ、スサノヲの描写の類似が指摘されています。 ホムツワケは、『記』『紀』に次のように記されます。 是生年既に三十、八掬髯鬚むすまでに、猶泣つること児の如し。 常に言はざること、何由ぞ。 『紀』垂仁紀23年9月条 是の... -
ホムツワケ伝承と日子坐系譜の相関性
『記』開化系譜にみえる人物が複数、『記』『紀』垂仁段のホムツワケ(ホムチワケ)伝承に登場するという相関性がみられます。 開化天皇の子の日子坐王と春日建国勝戸売女沙本之大闇見戸売の子として、沙本毘売と沙本毘古がみえますが、沙本毘古と垂仁天皇... -
倭日向武日向八綱田
『紀』垂仁紀5年10月条に、上毛野君遠祖八綱田が狭穂彦の謀反を鎮圧して「倭日向武日向八綱田」の称号を贈られたことがみえます。 倭日向武日向八綱田は、『姓氏録』に豊城入彦の子と記され、後裔氏族として和泉国皇別の登美首、軽部、未定雑姓摂津国の我... -
狭穂彦後裔氏族
『記』『紀』垂仁段に、ホムツワケ伝承がみえます。 垂仁天皇の后の狭穂媛は、兄の狭穂彦が謀反を起こすと、子の誉津別(ホムツワケ)を連れて兄の砦に隠り、火を放たれた砦からホムツワケだけが助け出されます。(『記』は、本牟智和気(ホムチワケ)と表... -
三野県主小根
『紀』清寧即位前紀に、河内三野県主小根の話がみえます。 雄略の没後、吉備稚媛の子である星川皇子が王位簒奪の反乱を起こして失敗し燔殺され、星川皇子に仕えていた三野県主小根は、草香部吉士漢彦の足に抱きついて命乞いし、大伴室屋大連に難波来目邑大... -
五十瓊敷入彦と茅渟
『記』『紀』に、五十瓊敷入彦による造池と作刀の記述がみえます。 五十瓊敷命を河内国に遣して、高石池・茅渟池を作らしむ。 『紀』垂仁紀35年9月条 五十瓊敷命、茅渟の菟砥川上宮に居しまして、剣一千口を作る。 因りて其の剣を名けて、川上部と謂ふ。 ... -
『出雲国風土記』の天𤭖津日女・天御梶日女
『尾張国風土記』逸文に、『記』『紀』垂仁段のホムツワケ伝承の異伝がみえます。 日置部等祖建岡君がホムツワケが言葉を取り戻すことができるよう「多具国の神、阿麻乃弥加都比女」を祭祀したのが尾張国丹羽郡吾縵郷の阿豆良神社の起源とされます。(→『... -
『尾張国風土記』逸文のホムツワケ伝承
『尾張国風土記』逸文(前田家本『釈日本紀』巻10「誉津別命及壮而不言」条)に、丹羽郡吾縵郷の阿豆良神社の起源についての記述がみえ、『記』『紀』垂仁段のホムツワケ伝承の異伝となっています。 日置部等祖建岡君は、ホムツワケが言葉を取り戻すことが... -
曙立王・菟上王と出雲
『記』『紀』垂仁段に、ホムツワケ伝承がみえます。 垂仁天皇の后の狭穂媛は、兄の狭穂彦が謀反を起こすと、子の誉津別(ホムツワケ)を連れて兄の砦に隠り、火を放たれた砦からホムツワケだけが助け出されます。(『記』は、本牟智和気(ホムチワケ)と表... -
ホムツワケ伝承と出雲
『記』『紀』垂仁段に、ホムツワケ伝承がみえます。 垂仁天皇の后の狭穂媛は、謀反に失敗した兄の砦に、子の誉津別(ホムツワケ)を連れて隠り、火を放たれた砦からホムツワケだけが助け出されます。(『記』は、本牟智和気(ホムチワケ)と表記します) ...
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