伊勢神宮成立と磯部– category –
『紀』垂仁紀にみえる伊勢神宮成立の経過を「磯部」を観点として探ります。
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『記』の伊勢神宮内宮起源伝承
伊勢神宮内宮の起源について、『紀』は、垂仁段に倭姫の話を記しますが、『記』は、天孫降臨段に思金神ら6神の話を載せます。 天照大神は、皇孫ニニギに葦原中国へ降下させる時に、鏡を与え、お供の神を付けて、次のように言います。 此の鏡は、専ら我が御... -
伊勢国多気郡相可郷
『和名抄』伊勢国多気郡相可郷は、三重県多気町の相可を遺称地として、三疋田から津留までの櫛田川右岸、五佐奈・仁田などの佐奈川上流域、及び相鹿瀬の地域に比定されます。 注目点が5つあります。 ① 「相可」は「相鹿」「逢鹿」とも書かれ、『延喜式』... -
伊雑宮と佐美長神社
伊雑宮は、的矢湾の奥、伊雑ノ浦に流入する神路川と野川の合流点付近(三重県志摩市磯部町上之郷)に鎮座し、「伊射波宮」「伊佐波宮」「伊佐布宮」とも記され、俗に「磯部宮」ともよばれます。 伊勢神宮内宮の別宮の1つで、『皇太神宮儀式帳』及び『延喜... -
丹後の元伊勢伝承
『丹後国風土記』逸文に、比治の真奈井の羽衣伝説がみえます。 丹後国丹波郡の比治の山の頂の麻奈井で8人の天女が水浴していたところ、和奈佐という老夫婦が1人の天女の羽衣を隠し、天に帰ることが出来なくなった天女は夫婦の娘として留まります。天女には... -
「五十狭茅」と生駒
『紀』に、「五十狭茅」を名とする人物が4人みえます。 活目入彦五十狭茅 彦五十狭茅 五十狭茅宿禰 海上五十狭茅 「活目入彦五十狭茅」は、垂仁天皇であり、『記』には「伊玖米入日子伊沙知」と表記されます。 「彦五十狭茅」は、「活目入彦五十狭茅」の弟... -
大和国添上郡の穴栗社・菟上社
穴栗神社は、奈良県奈良市横井の集落の北方、小字穴栗に鎮座します。 『延喜式』神名帳の大和国添上郡に「穴吹神社」とみえ、金剛寺本にはアナフキの訓注があり、享保板本は社名を「穴次」としますが、寛弘9年(1012)3月11日の大和国今木庄坪付案文進状(... -
近江国野洲郡の馬路石辺神社
『延喜式』神名帳にみえる近江国野洲郡の馬路石辺神社(滋賀県守山市吉身)は、『姓氏録』に久斯比賀多(クシヒガタ)の後裔氏族と記される石辺公の奉祭神とみられます。 クシヒガタは、『記』『紀』崇神段の大物主神祭祀者の大田田根子の系譜にその名がみ... -
伊勢国壱志郡の阿射加神社
『延喜式』神名帳に、伊勢国壱志郡の名神大社としてみえる阿射加神社は、雲出川支流中村川右岸、堀坂山に連なる枡形山(312.3m)の西麓、三重県松阪市大阿坂町と小阿坂町の2カ所に鎮座します。 南北朝期、枡形山山頂部に、北畠氏の「阿坂城」が築かれるな... -
常陸国久慈郡の稲村神社
『延喜式』神名帳の常陸国久慈郡に載る稲村神社は、茨城県常陸太田市天神林町、常陸太田市街から間坂へ至る旧道から北へ突き出た崖上の森の中に鎮座します。 周辺は、『和名抄』常陸国久慈郡佐竹郷に比定され、中世の佐竹氏発祥の地でもあり、至近に佐竹氏...
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