神武東征伝承– category –
神武東征伝承の構成要素について
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母木(おものき)
『紀』神武即位前紀戊午年4月条に、次のような記述がみえます。 初め孔舎衛の戦に、人有りて大きなる樹に隠れて、難を免るること得たり。 仍りて其の樹を指して曰はく、「恩、母の如し」といふ。 時人、因りて其の地を号けて、母木邑と曰ふ、 神武と長髄彦... -
大和国宇陀郡と大伴連・倭直
大和国宇陀郡は、奈良盆地東南の山間地域ですが、『記』『紀』建国神話の舞台とされ、地域的特異性が窺われます。 神武天皇は、東征の最終段階で宇陀から大和盆地に入り、戦いに連勝して畝傍橿原に至り即位しますが、起点となったのは「穿(うかち)」とい... -
「孔舎衛坂」の戦いと長髄彦
『紀』神武即位前紀甲寅年条に次のような記述がみえます。 抑又、塩土老翁に聞きき。 曰ひしく、『東に美き地有り。青山四周れり。 其の中に亦、天磐船に乗りて飛び降る者有り』といひき。 余謂ふに、彼の地は必ず以て大業を恢弘べて、天下に光宅るに足り... -
神渟名川耳と神八井耳
『記』『紀』に、手研耳討伐の話がみえます。 『紀』綏靖紀によると、神武天皇の没後、大和の后の子、神渟名川耳と神八井耳は、日向の妃の子、手研耳(たぎしみみ)を殺そうとします。 吾平津媛 ├──────手研耳 神武 ├──┬───神八井耳 │ └───神渟名... -
「渟名川」と倭直・阿曇連
『万葉集』に、次のような歌がみえます。 渟名川の底なる玉 求めて得し玉かも 拾いて得し玉かも 『万葉集』13-3247 「渟名川」は、長野県・新潟県を流れる姫川を指し、「渟名川の底なる玉」とは、姫川支流の小滝川流域に産する翡翠を示します。 姫川は、... -
多坐弥志理都比古神社
多氏の本拠地とされる奈良県磯城郡田原本町多には、多氏に関わる神社が複数鎮座します。 飛鳥川東岸に鎮座する、多坐弥志理都比古神社は、『延喜式』神名帳では「多坐弥志理都比古神社二座」とあり、大和国十市郡の名神大社とされます。 皇子神命神社・姫... -
築坂・久米・竹田と大伴連
『紀』神武紀2年2月条に、次のような記述がみえます。 道臣命に宅地を賜ひて、築坂邑に居らしめたまひて、寵異みたまふ。 亦大来目をして畝傍山の西の川辺の地に居らしめたまふ。 今、来目邑と号くるは、此、其の縁なり。 神武は、東征の功績の報賞として...
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