顕宗・仁賢・武烈– category –
5世紀末、偶然に播磨で発見され、弟、兄の順で即位した顕宗・仁賢の2王について、支持勢力の違い、兄弟関係の変化など注目すべき点を探り、また、2王の後に即位した武烈について、顕宗との不可解な共通点を見ていきます。
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顕宗・仁賢伝承は何を意味するのか
『記』『紀』に、清寧天皇の没後、市辺押磐皇子の遺児2人が播磨で発見され、弟、兄の順で大王に即位する話がみえます。(兄は仁賢天皇、弟は顕宗天皇です) 『記』『紀』のなかでも特異な即位伝承ですが、5世紀第4四半期という比較的新しい時代の出来事で... -
和珥春日の后妃
5世紀後半から6世紀前半にかけて、大王と春日和珥の后妃の子が後継の大王の后となることを繰り返す特殊な系譜がみられます。(岸俊男「ワニ氏に関する基礎的考察」(『日本古代政治史研究』1966年)、山尾幸久『日本古代王権形成史論』1983年、74~75頁、38... -
近江国蒲生郡の「出雲」の属性
鈴鹿山脈の霊峰、綿向山を御神体とする馬見岡綿向神社は、滋賀県蒲生郡日野町村井に鎮座し、『延喜式』神名帳の近江国蒲生郡にみえる「馬見岡神社二座」に比定されます。 出雲系の天穂日命・武三熊大人命・天夷鳥命の3神を祭神とし、宮司は、南北朝期頃ま... -
蒲生野と来田綿蚊屋野
『紀』雄略即位前紀に、市辺押磐皇子が雄略に「来田綿蚊屋野」で殺されたことがみえます。 「来田綿蚊屋野」は、古くから王権の薬猟場であった「蒲生野」の一角とされます。 『紀』天智紀7年5月5日条に、次のようにみえます。 天皇、蒲生野に縦猟したまふ... -
佐々貴山君の起源伝承
『紀』雄略即位前紀に、雄略による市辺押磐皇子の謀殺の話がみえます。 雄略は大王位を争っていた市辺押磐皇子のもとに人を遣り、「近江の狭狭城山君韓帒によると来田綿の蚊屋野に猪や鹿が沢山いるそうですよ」と狩りに誘い出して殺しました。 雄略の没後... -
山城国綴喜郡の月読神社・樺井月神社
『延喜式』神名帳の山城国綴喜郡に月読神社と樺井月神社がみえます。 樺井月神社は、月読神を祭神として、城陽市水主の水主神社の境内に鎮座しますが、もとは綴喜郡樺井(京田辺市大住)にあり、木津川の氾濫に遭って、寛文12年(1672)に水主神社境内に遷... -
葛野坐月読神社
『延喜式』神名帳の山城国葛野郡に名神大社としてみえる、葛野坐月読神社は、京都市西京区松室山添町、桂川右岸に鎮座し、松尾大社の摂社として松尾月読神社とよばれています。 葛野坐月読神社は、『紀』顕宗紀3年2月条にみえる、月神の祭祀地「歌荒樔田」... -
『紀』顕宗紀の月神・日神祭祀
『紀』顕宗紀に、月神と日神の祭祀の記述がみえます。 阿閉臣事代、命を銜けて、出でて任那に使す。 是に、月神、人に著りて謂りて曰はく、 「我が祖高皇産霊、預ひて天地を鎔ひ造せる功有します。 民地を以て、我が月神に奉れ。 若し請の依に我に献らば、... -
飯豊皇女と葛木坐火雷神社
雄略の後を継いで即位した清寧天皇が亡くなり、後継王が不在となった時、市辺押磐皇子の遺児2人が播磨の志染で偶然に発見され、弟、兄の順で即位し、顕宗天皇、仁賢天皇となります。 『記』『紀』に、顕宗、仁賢の即位に際し、飯豊皇女が重要な役割を果た... -
「来目稚子」と「嶋稚子」
市辺押磐皇子の2人の遺児は、播磨志染に隠れていたところを偶然に発見され、弟、兄の順で即位し、顕宗天皇、仁賢天皇となります。 顕宗・仁賢の亦の名に注目します。 顕宗の亦の名は、『紀』顕宗即位前紀の文注に「来目稚子」とあります。 「来目」は「久...
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