顕宗・仁賢・武烈– category –
5世紀末、偶然に播磨で発見され、弟、兄の順で即位した顕宗・仁賢の2王について、支持勢力の違い、兄弟関係の変化など注目すべき点を探り、また、2王の後に即位した武烈について、顕宗との不可解な共通点を見ていきます。
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顕宗・武烈の后妃と陵墓
5世紀後半から6世紀前半まで、雄略朝〜欽明朝にかけて、大王と和珥春日の后妃による特殊な血統が継続します。(→ 和珥春日の后妃) 当該期の大王のなかで、后妃のいない清寧は別として、顕宗・武烈のみがこの血統に属さないことに注目します。 顕宗の后は... -
和珥春日の后妃
5世紀後半から6世紀前半にかけて、大王と春日和珥の后妃の子が後継の大王の后となることを繰り返す特殊な系譜がみられます。 起点となるのは、雄略と春日和珥臣深目女童女君の一夜婚です。 仁賢は、一夜婚によって生まれた春日大娘皇女と和珥臣日爪女糠君... -
近江国蒲生郡の「出雲」の属性
鈴鹿山脈の霊峰、綿向山を御神体とする馬見岡綿向神社は、滋賀県蒲生郡日野町村井に鎮座し、『延喜式』神名帳の近江国蒲生郡にみえる「馬見岡神社二座」に比定されます。 出雲系の天穂日命・武三熊大人命・天夷鳥命の3神を祭神とし、宮司は、南北朝期頃ま... -
蒲生野と来田綿蚊屋野
『紀』雄略即位前紀に、市辺押磐皇子が雄略に「来田綿蚊屋野」で殺されたことがみえます。 「来田綿蚊屋野」は、古くから王権の薬猟場であった「蒲生野」の一角とされます。 『紀』天智紀7年5月5日条に、次のようにみえます。 天皇、蒲生野に縦猟したまふ... -
佐々貴山君の起源伝承
『紀』雄略即位前紀に、雄略による市辺押磐皇子の謀殺の話がみえます。 雄略は大王位を争っていた市辺押磐皇子のもとに人を遣り、「近江の狭狭城山君韓帒によると来田綿の蚊屋野に猪や鹿が沢山いるそうですよ」と狩りに誘い出して殺しました。 雄略の没後... -
山城国綴喜郡の月読神社・樺井月神社
『延喜式』神名帳の山城国綴喜郡に、月読神社と樺井月神社がみえます。 月読神社は、京都府京田辺市大住池平に鎮座します。 樺井月神社は、現在、木津川対岸の城陽市水主の水主神社の境内社となっていますが、社伝に、木津川の氾濫に遭って、寛文12年(167... -
葛野坐月読神社
『延喜式』神名帳の山城国葛野郡に名神大社としてみえる、葛野坐月読神社は、京都市西京区松室山添町、桂川右岸に鎮座し、松尾大社の摂社として松尾月読神社とよばれています。 葛野坐月読神社は、『紀』顕宗紀3年2月条にみえる、月神の祭祀地「歌荒樔田」... -
『紀』顕宗紀の月神・日神祭祀
『紀』顕宗紀に、月神と日神の祭祀の記述がみえます。 阿閉臣事代、命を銜けて、出でて任那に使す。 是に、月神、人に著りて謂りて曰はく、 「我が祖高皇産霊、預ひて天地を鎔ひ造せる功有します。 民地を以て、我が月神に奉れ。 若し請の依に我に献らば、... -
飯豊皇女と葛木坐火雷神社
雄略の後を継いで即位した清寧天皇が亡くなり、後継王が不在となった時、市辺押磐皇子の遺児2人が播磨の志染で偶然に発見され、弟、兄の順で即位し、顕宗天皇、仁賢天皇となります。 『記』『紀』に、顕宗、仁賢の即位に際し、飯豊皇女が重要な役割を果た... -
丹後の「浦嶋子」
『紀』及び『丹後国風土記』逸文に「浦嶋子」の話がみえます。 丹波国の余社郡の筒川の人瑞江浦嶋子、舟に乗りて釣す。 遂に大亀を得たり。便に女に化為る。 是に、浦嶋子、感りて婦にす。 相遂ひて海に入る。蓬莱山に到りて、仙衆を歴り覩る。 語は、別巻...
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