顕宗・仁賢・武烈– category –
5世紀末、偶然に播磨で発見され、弟、兄の順で即位した顕宗・仁賢の2王について、支持勢力の違い、兄弟関係の変化など注目すべき点を探り、また、2王の後に即位した武烈について、顕宗との不可解な共通点を見ていきます。
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山城国綴喜郡の月読神社・樺井月神社
『延喜式』神名帳の山城国綴喜郡に、月読神社と樺井月神社がみえます。 月読神社は、京都府京田辺市大住池平に鎮座します。 樺井月神社は、現在、木津川対岸の城陽市水主の水主神社の境内社となっていますが、社伝に、木津川の氾濫に遭って、寛文12年(167... -
苅羽井の猪飼
『記』安康記に、市辺押磐皇子が雄略に殺された後、難を逃れて行く市辺押磐の遺児2人が山代の刈羽井で猪飼の老人に食糧を奪われたことがみえます。 遺児2人は、雄略の後を継いだ清寧天皇が亡くなり後継王が不在となった時、播磨の志染に隠れているところを... -
飯豊皇女と葛木坐火雷神社
雄略の後を継いで即位した清寧天皇が亡くなり、後継王が不在となった時、市辺押磐皇子の遺児2人が播磨の志染で偶然に発見され、弟、兄の順で即位し、顕宗天皇、仁賢天皇となります。 『記』『紀』に、顕宗、仁賢の即位に際し、飯豊皇女が重要な役割を果た...
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