少彦名神– category –
少彦名神について、『紀』景行紀にみえる屋主忍男武雄心との関係を探り、年代観の特定を試みる
-
「船木等本記」にみえる葛城と越の関係
『住吉大社神代記』「船木等本記」に、船木の遠祖、大田田命を祖とする系譜がみえます。 大田田命の3世孫(曽孫)である、木西川(きせつ)比古命について、次のような系譜が記されます。 木西川比古命 ├───┬─田田根足尼命 │ │ ├─┬──乎川女... -
越の11国造
「国造本紀」にみえる、越(高志)国に属する11国造の祖を示すと次のようになります。 高志国造阿閇臣祖屋主男心命三世孫市入命 三国国造宗我臣祖彦太忍信命四世孫若長足尼 角鹿国造吉備臣祖若武彦命孫建功狭日命 加我国造三尾君祖石撞別命四世孫大... -
生根神社と少彦名
『延喜式』神名帳に、摂津国住吉郡の生根神社、大和国城上郡の忍坂坐生根神社と、2つの生根神社がみえます。 住吉郡の生根神社は、住吉大社の東に鎮座し、江戸時代には、同社の摂社でしたが、明治5年(1872)に分離独立しました。 城上郡の忍坂坐生根神社... -
味師内宿禰と山城国綴喜郡有智郷
『記』孝元記に、味師内宿禰についての系譜がみえます。 比古布都押之信命、 尾張連等が祖、意富那毘が妹、葛城之高千那毘売を娶りて、 生みし子は、味師内宿禰〈此は、山代の内臣が祖ぞ〉。 「山代の内臣」の「内(うち)」とは、『紀』雄略紀17年3月条の... -
屋主忍男武雄心と少名日子建猪心
『紀』に武内宿禰の父と記される「屋主忍男武雄心」が、『記』では存在しないという事象がみられます。(→ 屋主忍男武雄心) また、「屋主忍男武雄心」が武内宿禰の父であるという記述は、『紀』景行紀3年2月条にみえ、武内宿禰の出自を示す『紀』孝元系譜... -
彦屋主田心と道君
越国造は、『紀』孝元紀に、大彦命の後裔とあります。 「国造本紀」には、次のように記されます。 高志国造 志賀高穴穂朝御世 阿閇臣祖屋主男心命三世孫市入命定賜国造 「屋主男心」は、『姓氏録』右京皇別上の道公の項に、「大彦命の孫、彦屋主田心命の... -
葛城・綴喜・越と「少名日子」
『記』孝元系譜に、建内宿禰と味師内宿禰の父は、比古布都押之信(ひこふつおしのまこと)とされます。 建内宿禰は大和葛城の勢力、味師内宿禰は山城綴喜の勢力を象徴し、その父である比古布都押之信は、葛城と綴喜を包括する存在といえます。(→ 味師内宿... -
「少彦名」の年代観
『記』神代記と『紀』神代紀第8段一書第6に、大己貴神と共に国作りをしてきた少彦名神が常世に去り、途方に暮れていた大己貴神のもとに、少彦名神の代わりともいうべき神が現れ、三輪山に祀られる話がみえます。(→ 大己貴と少彦名) 「少彦名神が常世に去... -
屋主忍男武雄心
『紀』景行紀3年2月条に、屋主忍男武雄心についての記述がみえます。 紀伊国に幸して、群の神祇を祭祀らむと卜ふるに、吉からず。乃ち車駕止みぬ。 屋主忍男武雄心命〈一に云はく、武猪心といふ。〉を遣して祭らしむ。 爰に屋主忍男武雄心命、詣して阿備の... -
能登国造の系譜
『続日本紀』によると、養老2年(718)5月2日、越前国から羽咋・能登・鳳至・珠洲の4郡を割いて能登国が立国され、天平13年(741)12月10日、能登国は越中国に合併されましたが、天平勝宝9年(757)5月8日に再び分立、立国されました。 『記』に、崇神天皇...
12