少彦名神– category –
少彦名神について、『紀』景行紀にみえる屋主忍男武雄心との関係を探り、年代観の特定を試みる
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能登国造の系譜
『続日本紀』によると、養老2年(718)5月2日、越前国から羽咋・能登・鳳至・珠洲の4郡を割いて能登国が立国され、天平13年(741)12月10日、能登国は越中国に合併されましたが、天平勝宝9年(757)5月8日に再び分立、立国されました。 『記』に、崇神天皇... -
久延毘古後裔氏族
大和国城上郡の式内社である、神坐日向(みわにいますひむかい)神社は、大神神社の摂社として、本社の南西、御子森(みこのもり)とよばれる微高地に鎮座します。 『大三輪社勘文』(1712年成立)の引用する、『大神崇秘書』(1119年、従七位上山田首積善... -
少名毘古那神と久延毘古
『記』に、少名毘古那(すくなびこな)神の出現について、次のように記されます。 出雲の御大(みほ)の御前(みさき)で、大国主神は、ガガイモの莢の舟に乗って、鵝の皮を着た神が来るのに気付きました。 誰に聞いても知らない神なので、多邇具久(ヒキ...
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