磐井の乱– category –
『紀』継体紀の磐井の乱と近江毛野臣の渡海記述の時系列を整理し、継体王権が、加耶・百済・新羅情勢に対応しきれず分裂崩壊した様子を探ります。
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磐井の乱と近江毛野臣の渡海
『紀』継体紀に、近江毛野臣が、新羅に侵攻された南加羅・㖨己呑を復興するために、安羅に派遣されたことがみえます。 南加羅・㖨己呑・安羅は、いずれも朝鮮半島南部の海岸域にあった加耶の小国で、南加羅は金官ともよばれ、洛東江下流域西岸の金海に、㖨... -
壱伎直・壱伎県主・壱岐島造
壱伎直は、壱岐島を本拠地とし、亀卜を職掌とする氏族であり、『姓氏録』右京神別上に「天児屋根命の九世孫、雷大臣の後なり」と記されます。 『新撰亀相記』の撰上者として知られる、壱岐直氏成は、『松尾社家系図』に「月読宮長官」とあり、氏成の子とし... -
「国造本紀」の伊吉嶋造
「国造本紀」に、伊吉嶋造について、継体朝の磐井の乱に関与したという記述がみえます。 伊吉嶋造 磐余玉穂朝に、石井の従者新羅海辺の人を伐ちし、 天津水凝の後の上毛布直の造なり。 伊吉(壱伎・壱岐)嶋造は、継体朝に、石井(磐井)と結びついた新羅... -
近江国高島郡の大荒比古神社
『延喜式』神名帳の近江国高島郡にみえる大荒比古神社は、安曇川を臨む、饗庭野台地の山並の南端に鎮座し、大荒田別命・豊城入彦命を祭神とします。 豊城入彦命の4世孫大荒田別命後裔、大野氏が、現宮司の城戸氏の祖とされます。 (『日本歴史地名大系』(... -
武内宿禰と甘美内宿禰の対立伝承と磐井の乱
『紀』応神紀9年4月条に、武内宿禰と甘美内宿禰の抗争の記述がみえます。 甘美内宿禰が「武内宿禰は筑紫で謀反を企てている」と応神天皇に奏上し、武内宿禰討伐の遣使がなされますが、壱伎直祖真根子が身代わりとなって武内宿禰を逃がします。 武内宿禰と... -
阿賢移那斯・佐魯麻都
田中俊明氏の研究により、朝鮮半島南部の加耶の小国、安羅の6世紀前半の状況を探ります。 『紀』欽明紀2年(541)から5年(544)に、いわゆる「任那復興会議」の記述がみえます。 百済の聖明王は、新羅に滅ぼされた南加羅(金官)・㖨己呑・卓淳の3国の復... -
継体紀25年条注の『百済本記』伝聞記事
『紀』継体紀の編者が、編集の最終段階で、継体没年の年次を変更したことが知られています。 『紀』継体紀25年条の末尾に、編者による次のような注が記されます。 或る本に云はく、天皇、二十八年歳次甲寅に崩りましぬといふ。 而るを此に二十五年歳次辛亥...
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