雄略朝の臣下集団形成– category –
少子部蜾蠃の三輪山の神の伝承、少子部の起源の話、『姓氏録』難波忌寸の墨坂伝承、稲荷山古墳鉄剣銘から雄略朝の臣下集団の形成を探ります。
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和珥春日の后妃
5世紀後半から6世紀前半にかけて、大王と春日和珥の后妃の子が後継の大王の后となることを繰り返す特殊な系譜がみられます。 起点となるのは、雄略と春日和珥臣深目女童女君の一夜婚です。 仁賢は、一夜婚によって生まれた春日大娘皇女と和珥臣日爪女糠君... -
信濃国高井郡の墨坂神社
『延喜式』神名帳の信濃国高井郡に墨坂神社が記されます。 長野県須坂市の同名社2社が論社とされ、「芝宮」とよばれる墨坂神社(須坂市須坂芝宮)は、墨坂神を主神とし、建御名方命を合殿、「八幡」とよばれる墨坂神社(須坂市墨坂)は、品陀和気命・気長... -
丹後の「浦嶋子」
『紀』及び『丹後国風土記』逸文に「浦嶋子」の話がみえます。 丹波国の余社郡の筒川の人瑞江浦嶋子、舟に乗りて釣す。 遂に大亀を得たり。便に女に化為る。 是に、浦嶋子、感りて婦にす。 相遂ひて海に入る。蓬莱山に到りて、仙衆を歴り覩る。 語は、別巻... -
秦酒公と少子部蜾蠃
『紀』雄略紀15年条に、秦酒公の話がみえます。 秦の民を臣連等に分散ちて、各欲の随に駈使らしむ。秦造に委にしめず。 是に由りて、秦造酒、甚に以て憂として、天皇に仕へまつる。 天皇、愛び寵みたまふ。詔して秦の民を聚りて、秦酒公に賜ふ。 公、仍り... -
大彦の「墨坂」伝承
『姓氏録』河内国皇別の難波忌寸の項に、次のような記述がみえます。 阿倍氏の遠祖、大彦命、磯城瑞籬宮御宇天皇の御世に、 蝦夷を治めに遣されし時に、兎田の墨坂に至りて、 忽ちに嬰児の啼泣を聞きて、即ち認覔ぐに、棄てたる嬰児を獲き。 大彦命、見て... -
雄略朝の三輪山の神
『紀』雄略紀7年7月条に「三諸岳の神」の話がみえます。 天皇、少子部蜾蠃に詔して曰はく、 「朕、三諸岳の神の形を見むと欲ふ。 〈或いは云はく、此の山の神をば大物主神と為ふといふ。 或いは云はく、菟田の墨坂神なりといふ。〉 汝、膂力人に過ぎたり...
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