眉輪王と葛城円大臣討伐

『記』『紀』に、雄略天皇即位時の内乱の記述がみえます。

雄略の兄、安康天皇は、大草香皇子を殺し、大草香の妃の中蒂姫を自分の后としましたが、大草香と中蒂姫の子の眉輪王に殺されました。

雄略は、他の兄たち、八釣白彦皇子と坂合黒彦皇子が背後で謀ったのではないかと疑い、八釣白彦皇子を問い詰め殺し、坂合黒彦皇子が眉輪王を連れて、葛城円大臣の家に逃げ込むと、兵で家を囲み、火を放って、円大臣・眉輪王・坂合黒彦皇子を焼き殺します。

『記』『紀』に、円大臣の命乞いの言葉がみえます。

『紀』

伏して願はくは、大王、臣が女韓媛と葛城の宅七区とを奉献りて、

罪を贖はむことを請らむ。

『記』

先の日に問ひ賜へる女子、訶良比売は、侍らむ。

亦、五処の屯宅を副へて献らむ

〈 所謂る五村の屯宅は、今の葛城の五村の苑人ぞ 〉。

娘の韓媛を雄略の妃とし、土地を献上することが書かれています。

土地の所在地については、「今の葛城の五村の苑人ぞ」とあることから、大和国忍海郡園人郷、大和国葛上郡楢原郷(奈良県御所市楢原)の垣内、園池とされます。

園池とは、『令義解』(833年成立)職員令に、「園池司、正一人、掌諸苑池種殖蔬菜樹果等事」とみえる園池司と同じと考えられ、清浄な地を選び蔬菜・樹菓・家禽のことを司った場所を示します。

楢原は、北は、櫛羅、南は、森脇に接しますが、櫛羅は、「天孫本紀」尾張氏系譜にみえる、瀛津世襲命〈亦云葛木彦命。尾張連祖〉・世襲足姫命〈亦名日置姫命〉に関わる「日置」の地に比定され、森脇は、雄略との関わりがみえる一言主神社の鎮座地となっています。

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