『延喜式』神名帳にみえる但馬国出石郡の中嶋神社(兵庫県豊岡市三宅)は、出石神社の北方5km、円山川水系の穴見川の中流域、穴見谷の中央部に位置し、天之日矛5世孫の田道間守と鳥取連祖の天湯河棚を祭神とします。
田道間守は、『記』『紀』に三宅連の祖とされ、鎮座地の小字も「三宅」であることから、三宅連の奉祭神とみられ、田道間守が常世国から持ち帰った「非時の香菓」が菓子として珍重された故事に因み、菓子業者の信仰を集めています。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):兵庫県:豊岡市>三宅村>中嶋神社)
当地は、『和名抄』の但馬国出石郡安美郷に属します。
安美(あなみ)郷は、穴見郷とも記され、天平勝宝2年(750)正月8日但馬国司解、同年3月6日但馬国司牒、同年5月13日・7月2日東大寺三綱牒案(いずれも東南院文書)に奴婢に関する記述がみえます。
穴見郷戸主大生直山方の奴、糟麻呂と穴見郷戸主土師部美波賀志の奴、藤麻呂は、東大寺に施入された後、糟麻呂が小坂郷出身の池麻呂とともに2度にわたり逃亡し、藤麻呂も逃げ帰ったため、本主に還送されました。
大生直氏に関しては、中嶋神社の境内社である大森神社に大生部氏神霊が祀られ、中嶋神社の北方570mの穴見郷戸主大生部兵主神社があり、北東2.4kmに式内社の論社である大生部兵主神社(豊岡市奥野)があります。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):兵庫県:豊岡市>三宅村、豊岡市>奥野村)
但馬国出石郡穴見郷において、天日槍と兵主神の重複が認められます。(→ 但馬国の兵主神社7社と出石神社)
また、穴見川を遡って駒返峠を越えると丹後国の川上谷川の水系につながり、湯舟坂2号墳(京都府京丹後市久美浜町須田)(6世紀後半築造 金銅製環頭大刀の出土)は、奥野の大生部兵主神社の北東4kmという位置関係にあります。