但馬国出石郡の出石神社

『記』応神記に、天之日矛の神宝について次のように記されます。

故、其の天之日矛の持ち渡り来し物は、

玉津宝と云ひて、珠二貫、

又、浪振るひれ、浪切るひれ、風振るひれ、風切るひれ、

又、奥津鏡、辺津鏡、幷せて八種ぞ〈此は、伊豆志の八前の大神ぞ〉。

『紀』垂仁紀3年3月条には、次のように記されます。

新羅の王の子天日槍来帰り。

将て来る物は、

羽太の玉一箇・足高の玉一箇・鵜鹿鹿の赤石の玉一箇・

出石の小刀一口・出石の桙一枝・日鏡一面・熊の神籬一具、

幷せて七物あり。

則ち但馬国に蔵めて、常に神の物とす。

『紀』垂仁紀3年3月条一云には、次のようにみえます。

仍りて貢献る物は、

葉細の珠・足高の珠・鵜鹿鹿の明石の珠・

出石の刀子・出石の槍・日鏡・熊の神籬・胆狭浅の大刀、

幷せて八物あり。

神宝の内訳をみると、『記』は「玉2・領巾4・鏡2」、『紀』は「玉3・剣1・桙1・鏡1・神籬1」、『紀』一云は「玉3・剣2・桙1・鏡1・神籬1」であり、「玉」が最初に記され、数も多いことがわかります。

天之日矛の話は、「玉」が女神となり、妻としたが逃げたので追いかけて倭国に来たという話なので、聖性の起源は「玉」にあることと符合します。(→ 『紀』垂仁紀の都怒我阿羅斯等伝承と天之日矛

天之日矛の神宝を祀る、出石神社は、兵庫県豊岡市出石町宮内、円山川支流の出石川右岸、権現山の西麓、此隅山南麓の谷間に鎮座します。

『延喜式』神名帳では、「伊豆志坐神社」と記され、但馬国出石郡の名神大社とされます。

出石郡は、但馬国から丹後国へ突き出すように位置し、丹後の勢力との関係を考える必要があります。

また、気多郡の但馬国衙(豊岡市日高町祢布 祢布ヶ森遺跡)は、西9kmに位置します。

◇天之日矛の後裔勢力の伝承を残す但馬国出石郡穴見郷の穴見川の水系は、丹後の川上谷川の水系と駒返峠でつながる。

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