『延喜式』神名帳に、兵主神社が19社みえますが、そのうち7社が但馬国にあります。
但馬国の兵主神社7社の比定社は次のとおりです。
| 郡 | 『延喜式』の名称 | 現在の名称 | 所在地 |
| 朝来郡 | 兵主神社 | 兵主神社 | 兵庫県朝来市山東町柿坪 |
| 養父郡 | 兵主神社 | 兵主神社 | 兵庫県豊岡市日高町浅倉 |
| 更杵村大兵主神社 | 更杵神社 | 兵庫県朝来市和田山町寺内 | |
| 十六柱神社 | 兵庫県朝来市和田山町林垣 | ||
| 出石郡 | 大生部兵主神社 | 大生部兵主神社 | 兵庫県豊岡市但東町薬王寺 |
| 大生部兵主神社 | 兵庫県豊岡市奥野 | ||
| 気多郡 | 久刀寸兵主神社 | 久刀寸兵主神社 | 兵庫県豊岡市日高町久斗 |
| 城崎郡 | 兵主神社 | 兵主神社 | 兵庫県豊岡市赤石 |
| 兵主神社二座 | 兵主神社 | 兵庫県豊岡市山本 |
① 朝来郡の兵主神社(兵庫県朝来市山東町柿坪)は、三保川の流域、粟鹿山麓に鎮座し、古くこの地に朝来軍団が置かれていた由縁を伝えます。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):兵庫県:朝来郡>山東町>柿坪村)
円山川支流の与布土川と三保川が並んで流れる山東町南部一帯は、朝来郡朝来郷に比定され、在地勢力は、朝来直とみられます。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):兵庫県:但馬国>朝来郡>朝来郷)
朝来直は、『姓氏録』右京神別下に、火明命3世孫天礪目命の後裔とされます。
「天孫本紀」に天戸目命の子として建斗目命がみえ、その子、6世孫建田背命のもとに「神服連。海部直。丹波国造。但馬国造等祖」とあって、但馬国造の本姓は朝来直であったと考えられています。(佐伯有清『新撰姓氏録の研究 考証篇第3』1982年、351頁)
また、『姓氏録』左京神別下にみえる、火明命の後裔の但馬海直は、同じように6世孫建田背命の後裔とみられ、また、「海部氏系図」の丹後国与謝郡の籠神社神官家の海直の同族とされます。(佐伯有清『新撰姓氏録の研究 考証篇第3』1982年、191~196頁)
朝来郡の兵主神社は内陸部にありますが、在地勢力は、海上交通に関わる但馬海直と近い関係にあり、朝来郷の北に接して礒部郷(与布土川・粟鹿川下流域を含む、円山川支流磯部川流域)があることも同様の理由によると思われます。
また、当社の東方1.5kmに、但馬国一宮あるいは二宮とされる名神大社の粟鹿神社があります。
② 養父郡の兵主神社(兵庫県豊岡市日高町浅倉)は、養父郡の最北、気多郡と出石郡との郡境に近いところにあり、気多郡の久刀寸兵主神社(豊岡市日高町久斗)の1.7km南東に位置します。
③ 養父郡の更杵村大兵主神社は、円山川支流糸井川流域の更杵神社(兵庫県朝来市和田山町寺内)に比定されます。(隣接する和田山町林垣の十六柱神社に比定する説もあります)
当社の北東500mに、式内社の佐伎都比古阿流智命神社が鎮座し、「佐伎都比古」は天日槍の妻の父の「前津見」と伝わり、また、当地が養父郡糸井郷に属することから、『姓氏録』大和国諸蕃にみえる天日槍後裔氏族の糸井造との関係を指摘する説もあります。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):兵庫県:但馬国>養父郡>糸井郷)
いっぽう、糸井郷の東は石禾郷に比定され(朝来市和田山町土田・宮田・岡・平野・東谷・寺谷)、「石禾(いさわ)」は、磯部(礒部)を示します。(石禾郷を継承する中世の石禾下庄の各村の地頭は角折氏が務めました)(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):兵庫県:但馬国>養父郡>石禾郷、朝来郡>和田山町>石禾下庄)
④ 出石郡の大生部兵主神社の論社は、兵庫県豊岡市但東町薬王寺、豊岡市奥野の2カ所にあります。
薬王寺の大生部兵主神社は、神懸峠にほど近い江笠山の南西麓に位置し、健速須佐之男神を祭神とし、かつては牛頭天王社とよばれて牛馬の神として崇敬を集め、『兵庫県神社誌』(1937~40年)に、用明天皇皇子麻呂子親王が丹後国竹野郡の賊を退治するため江笠山の牛頭天王に祈願したことを起源とすると記されます。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):兵庫県:出石郡>但東町>薬王寺村>大生部兵主神社)
奥野の大生部兵主神社は、円山川支流穴見川流域の穴見谷の最奥部、丹後国との国境近くに位置し、近世には有庫兵主大明神とよばれていました。
穴見谷の中央部に鎮座する式内社の中嶋神社(兵庫県豊岡市三宅)は、天日槍5世孫の田道間守を祭神とし、その境内社の大森神社には大生部氏神霊が祀られ、中嶋神社の北方570mには穴見郷戸主大生部兵主神社があり、奥野の大生部兵主神社との関係が推測されます。(→ 但馬国出石郡の中嶋神社)
⑤ 気多郡の久刀寸兵主神社(兵庫県豊岡市日高町久斗)は、円山川支流稲葉川下流域にあり、近世には鳴滝大明神とよばれ、神社の東北東1.5kmの但馬国府に推定される祢布が森遺跡があります。
⑥ 城崎郡の兵主神社(兵庫県豊岡市赤石)は、円山川下流域東岸、玄武洞近くにあります。
江戸時代に住吉大明神とよばれており海洋神とみられ、6.1km下流の円山川河口の名神大社の海神社(兵庫県豊岡市小島)を奉祭する但馬海直との関係が推測されます。
⑦ 城崎郡の兵主神社二座(兵庫県豊岡市山本)は、赤石の兵主神社の南南東3.6kmにあり、江戸時代には貴船大明神とよばれていました。
①〜⑦をみてくると、但馬国の兵主神社に、3つの共通性が認められます。
1つは、円山川河口域の海神社を拠点とする但馬海直との関係であり、礒部郷・石禾(いさわ)郷も同様の背景を持つと思われます。
①の朝来郡の兵主神社、③の養父郡の更杵村大兵主神社、⑥の城崎郡の兵主神社にあてはまり、⑦の城崎郡の兵主神社二座も可能性が高いと考えます。
もう1つは、出石郡の出石神社に祭祀される天日槍との関係であり、③の養父郡の更杵村大兵主神社、④の出石郡の大生部兵主神社にあてはまります。
もう1つは、但馬国府の勢力との関係であり、②の養父郡の兵主神社、⑤の気多郡の久刀寸兵主神社にあてはまります。
では、3つの共通性のあいだに接点はあるのか。
『記』『紀』に、天日槍の神宝をおさめたことが記される、但馬国の出石神社(兵庫県豊岡市出石町宮内)は、円山川支流の出石川右岸、権現山の西麓、此隅山南麓の谷間に鎮座し、『延喜式』神名帳に、出石郡の名神大社として伊豆志坐神社とみえます。
伝存史料によると、出石神社は、永正元年(1504)夏に、山名氏の内紛によってすべて焼失し(神床文書)、その後、再興が一段落し大規模な祭礼が行われた時のものと思われる、享禄5年(1532)11月初卯日の祝詞(神床氏古文書纂)が残ります。
祝詞は、「たかき山」に設けた「御たひ所」での祈禱とみられ、「神床の祝」以下、乙祝・大禰宜・請取・今禰宜・今井・御守の7人の祝、「神床のいさかへ」以下、祝と同名の7人の「いさかへ」、計14人の神職が記され、「いさかへ」について、「いさ」は天日槍の別名であり、「伊佐ヵ部」かとの説があります。
出石神社文書や祝職であった神床家伝来の文書によると、神主職として、源家則・源家朝・源家景の名がみえ、家景は、正平7年(1352)頃、長尾彦太郎家景と称し、長尾の名字は天日槍の来朝に際し朝廷から使者として派遣された長尾市に由来し、その子孫と伝えます。(『日本歴史地名大系』(JapanKnowledge):兵庫県:出石郡>出石町>宮内村>出石神社)
着目点は2点あり、1つは、古くから出石神社の祭祀にかかわってきた家系が倭直祖長尾市の子孫を称していたこと、もう1つは、「いさかへ」について、「いさ」は天日槍の別名で、「伊佐ヵ部」とする説があることです。
倭直は、周知のように海洋系勢力であり、「いさ」は磯で、「いさかへ」は「礒部」「石禾」と同義と思われます。
天日槍の伝承は、新羅の王子とあることから渡来系勢力との関係が推測されがちですが、倭国の海洋系勢力のいそべの話であり、一義的な担い手は但馬海直と思われます。
但馬国の兵主神社7社にみられる3つの共通性のうち、但馬海直と天日槍はつながっています。
3つめの但馬国府について、「祢布」という特徴的な小字は、丹後などにみえる「女布」「売布」と同義で、『記』『紀』垂仁段のホムツワケ伝承の若湯坐連に関係します。(→ イキシニホをめぐる問題点)
ホムツワケ(若湯坐連)、倭大国魂神(倭直)、天日槍という『紀』垂仁3伝承が但馬で交差しています。
◇ 『延喜式』神名帳にみえる、但馬国以外の兵主神社についても石部(いそべ)との関係が認められます。