『記』『紀』に、日向諸県君髪長媛と仁徳天皇の結婚の話がみえます。
日向諸県君は、日向国の南部、諸県郡を拠点とする勢力です。(→ 日向諸県君)
当初、仁徳の父、応神天皇が美貌の髪長媛を妃にしようと呼び寄せますが、仁徳が髪長媛を気に入ったことを知って譲ります。
『記』に、次のような応神の歌がみえます。
いざ子ども 野蒜摘みに 蒜摘みに 我が行く道の 香細し
花橘は 上つ枝は 鳥居枯し 下枝は 人取り枯し
三つ栗の 中つ枝の ほつもり 赤ら嬢子を 誘ささば 宜しな
水溜る 依網池の 堰杙打が 刺しける知らに 蓴󠄁繰
延へけく知らに 我が心しぞ いや愚にして 今ぞ悔しき
「好きに誘え」「手が伸びていたことに気付かなかったのは愚かであった」と、嘆息の様子がみえます。
◇ 5世紀代、仁徳から雄略までの6人の大王のうち4人が日向諸県君髪長媛の血統を継ぐ女性を后妃とした。(→ 日下の后妃)