神武東征伝承の布都御魂

神武東征伝承に、タケミカヅチの剣についての記述がみえます。

神武は、長髄彦に敗北して河内の日下から退却し熊野へ至ると、土地の神の毒気によって軍勢が倒れる危機に遭遇しますが、熊野の高倉下の剣によって回復し進撃を開始します。

『記』によると、高倉下は夢のなかで、天照大神・高木神から神武を助けに行くように命令されたタケミカヅチが、自分の家の倉に「葦原中国平定に使った剣」を降下させるのをみて、倉に行くと、果たして「剣」があったと言います。

また、「剣」の名について次のように記します。

此の刀の名は、佐士布都神と云ふ。

亦の名は、甕布都神と云ふ。亦の名は、布都御魂。

此の刀は、石上神宮に坐すぞ。

『紀』にも同様の話がみえ(指令神は天照大神のみ)、「剣」について、次のように記します。

予が剣、号を韴霊(ふつのみたま)と曰ふ。

神武を守った「剣」は、タケミカヅチが葦原中国平定に使用した剣であり、「佐士布都神」「甕布都神」「布都御魂」「韴霊」とよばれ、石上神宮に祀られていることがわかります。

注目点が1つあります。

石上神宮は、『延喜式』神名帳に「石上坐布都御魂神社」と記されるように、「布都御魂(ふつのみたま)」を祭神とし、奉祭者は物部連もしくは春日臣とされます。(→ 石上神宮の起源伝承

いっぽう、『紀』神代紀第9段の国譲り神話において、タケミカヅチとペアを組む神は「経津主(ふつぬし)」となっており、神武東征伝承の「タケミカヅチが葦原中国平定に使用した剣」という属性は「経津主」に当てはまるように思われます。

「経津主」は、タケミカヅチとともに春日大社の祭神で、奉祭者は中臣連とされます。

神武東征の「剣」伝承において、石上神宮の祭神「布都御魂(ふつのみたま)」と春日大社の祭神「経津主(ふつぬし)」が混交されているように思われます。(→ 「布都御魂」と「経津主」

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