『延喜式』神名帳の山城国葛野郡に名神大社としてみえる、葛野坐月読神社は、京都市西京区松室山添町、桂川右岸に鎮座し、松尾大社の摂社として松尾月読神社とよばれています。
葛野坐月読神社は、『紀』顕宗紀3年2月条にみえる、月神の祭祀地「歌荒樔田」とされます。
『紀』に、月神の祭祀者は「壱伎県主の先祖押見宿禰」と記されます。
『旧事紀』天神本紀、『日本三代実録』貞観14年4月24日癸亥条の伊伎宿禰是雄の卒伝、『松尾社家系図』の忍見命の尻付に次のようにみえます。
月読命、壱岐県主等祖
『旧事紀』天神本紀
始祖忍見足尼命。始自神代。供亀卜事。厥後子孫伝習祖業。備於卜部。
『日本三代実録』貞観14年4月24日癸亥条の伊伎宿禰是雄の卒伝
天児屋根命十八世孫。山背。壱岐。対馬等卜部遠祖也。山背歌荒洲田之元祖。母紀大磐宿禰女。
『松尾社家系図』忍見命の尻付
「壱伎県主の先祖押見宿禰」の母について「紀大磐宿禰女」とみえ、雄略朝の紀臣分裂の原因となった紀大磐宿禰の一族が月神祭祀に関与したことに注目します。(→ 紀大磐宿禰と紀臣の分裂)
また、『日本文徳天皇実録』斉衡3年(856)3月15日条に、次のように記されます。
移山城国葛野郡月読社置松尾之南山、社近河浜為水所囓、故移之
桂川の「河浜」にあった社が水害で壊れ、現社地へ移されたことがわかります。
旧社地について、松尾月読神社の700m東方、西芳寺川の桂川への合流地右岸に「吾田神」という小字が認められ、桂川の「河浜」に符合することに注目します。
「吾田神(あたがみ)」の「吾田(あた)」は、日向の阿多(吾田)を示し、一義的に関与する勢力は阿多隼人と思われます。
山城国綴喜郡の月読神社・樺井月神社について、大住隼人との関係が認められ、「月神」「月読神」の属性を特定する根拠となります。(→ 山城国綴喜郡の月読神社・樺井月神社)
『紀』顕宗紀の記述は、王権によって日向の隼人の神が奉祭されたことを示します。(→ 『紀』顕宗紀の月神・日神祭祀)